この青い空の下で(8)
空は相変わらず晴れていて、暖かい。
今日も絶好の昼寝日和だが、傍らで微笑む友人がいないので、ランティスは物足りなかった。
彼の存在が、自分の何かを満たしていてくれていたことを、改めて感じる。
イーグルは、クストを手に入れてからというもの、お茶を飲む間も惜しんで白い機体の修理に没頭している。
中で何かややこしいことをやっているようなのだが、機械のことなどさっぱりわからぬランティスには手伝うこともできない。金色の太陽を白い雲に隠されてしまった気分だった。
目を閉じると、クストの見せた幻が浮かんでくる。
こんな時、イーグルが隣にいてくれたらどれだけ心休まるだろう。
いつの間にか、あの白銀のきらめきは、ランティスにとってザガートやエメロード姫と同じぐらい大切な存在になっていた。
大切な者達と過ごす時間はとても愛しくて、いつまでもこの時が続けばいいと思っていた。
だから剣や魔法の腕を磨き、このセフィーロを守り続けてきた。
願う限り、この時はずっと続くような気がしていた。
なぜなら、ここは「信じる心が力になる世界」、セフィーロだから。
だが、物事には必ず終わりがある。
イーグルはじきにこのセフィーロを去る。
そして、エメロード姫とザガートは。
一体どんな結末が待っているのか。
二人が幸せになれる未来は、はたして存在するのだろうか。
ランティスは目を開け、視線を
FTO に戻した。澄んだ金色の瞳が青い空と白い翼を映し出している。
そして、その先は。
FTOの修理を始めてから、イーグルはいつも思い詰めたような表情をしている。力を修理に注ぎながらも、その瞳はどこか遠くを見て、何かにとらわれているようだ。
イーグルは、クストで一体何を見たのだろう。
いずれ心苦しめる映像に違いないが、それは真実か、幻か。
イーグルがこれほど修理に励むのも、そこで見たものと無関係ではないだろう。
自分に何か手助けできることはないだろうか。
ふと気付くとイーグルがこちらを向いて、手を振っていた。
柔らかな微笑み。
ランティスの前ではいつもイーグルは笑顔だった。
心に何を思っているにせよ、それを表に出す事はしない。
エメロード姫も、そうなのだろうか。
イーグルもエメロード姫も、いつも優しい微笑みを絶やさない。
しかし自分は、一度でもその本当の微笑みを見たことがあっただろうか。
ランティスが再び物思いに沈んでいると、ふわりと空気の揺れる気配がして、同時に口の中に甘い香りが広がった。
思わず顔をしかめ、目を開けると、元凶がいたずらっぽい微笑みを浮かべて隣に座っていた。
……いつの間に。
イーグルは風のように自然で、気配を感じさせない。
「あれ、お口に合わなかったみたいですね。
ジェオお手製の、美味しいお菓子なんですが…残念です」
そう言いながらも、秘かにランティスに近づき口の中に甘いものを放り込むという難事を達成してイーグルは嬉しそうだ。
しかし、オートザムにいるという彼の友人のお菓子を、何故今イーグルが持っているのか。
「
FTOにこっそり隠していたものなんです。破片に埋もれてしまっていましたが、幸い潰されずに残っていましたので」 ランティスのもの問いたげな視線を受けて、イーグルは笑った。
何も言わずとも、イーグルにはランティスが思っていることが手に取るようにわかるらしい。しかし。
「……
FTOというのは、戦うための乗り物ではなかったのか」やや呆れたようにランティスが言うと、
「ええ。でも、移動に使うこともありますし…やっぱり近くにお菓子がないと寂しいですから。大丈夫。バレなければ怒られませんから」
と、イーグルは全く悪びれた様子もなく答える。オートザムの人間というのはみんなこんな感じなのだろうか。
しかしそれも悪くないとランティスは思った。いつかイーグルの国に行ってみるのもいいかもしれない。
柔らかな風が吹き抜ける。
二人はしばらくそのまま何も言わずに座っていた。
悩みはつきないのに、こうしてイーグルが隣にいるだけで、こうも安らいだ気持ちになれるのは何故なのだろう。
「修理は、もういいのか」
ややあって、ふと思い出したようにランティスが尋ねた。
「ようやく七割、といったところでしょうか。
ずっと修理にかかりきりだったので、ちょっと一休みしようと思って来たんですよ」
と、イーグルは微笑む。
「貴方は朝からずっとこの樹の下にいましたね。
……何か、考え事でも?」
相変わらず口元は笑っているが、その瞳にはどこか心配そうな色が浮かんでいる。全てを見透かす、真摯な金の光。
イーグルはそれを察して、ここに来てくれたのだ。わざわざ
ランティスは胸がいっぱいになった。
イーグルの、力になりたい。
「……クストに、何を見た?」
やや迷ったが、思い切って聞いてみることにした。
イーグルは少し驚いたような顔をしたが、すぐにまた微笑んだ。あの、胸の痛くなる瞳で。
「
FTOを撃墜されたために僕がここに来たというのは、ご存じですよね。淡々と語るイーグルに、胸が苦しい。
「それでも、時々会ってはお茶を飲んだりお菓子を食べたりしたいました。……楽しかったですよ。とても。
だから、彼が糸を引いていると気付いた時は、少し驚きました。
ただ、彼と僕の父との関係が最近とみに悪化していたことを考えれば、有り得ない話ではない。
彼の母上は重い病にかかっていたのですが、その治療研究が進まなくなった。父が、医療研究よりもオートザムの国土浄化の研究に力を入れるよう定めたことと、無関係ではないでしょう。
だから彼はこのような行動に出たのだと……そう、思っていました」
苦しげな、イーグルの声。
「でも、違っていました。
クストに映し出されたのは、彼がある女性と一緒にいる姿でした。
その女性は以前僕に好意を寄せてくれていた人で……父の政敵のご息女でもある。
彼は、彼女を好きになったのです。
彼は言いました。僕は、自分の願いを叶えるためになら、どんな手を使うことも厭わないだろうと。
……彼女を傷つけることも。
だから、彼女を傷つけないためには、政争が激化する前に僕を消しておく必要があったのだと言いました。
僕がどうしようもない頑固者で、翻意することは有り得ないと知っているからでしょうね。」
そう言って、イーグルは苦笑した。
「強すぎる願いは人を傷つける……。
でも、たとえそうだとしても、僕は願わずにはいられないのです。
僕を愛してくれる人達をも傷つけることになると、わかっているのに」
顔を上げたイーグルの瞳に、青い空が映っている。
求めて止まない青い空。
そうすることで誰かを傷つけることになったとしても。
願わずにはいられない。
ランティスにはその姿が、ザガートやエメロード姫と重なって見えた。
強い願いを秘めた瞳。胸の痛くなる瞳。
強い輝きを放つ瞳はこんなにも美しいのに、ひどく哀しい。
「……それが、『願い』だ」
それだけを、ランティスは答えた。
その言葉にイーグルは一瞬目を見開き、やがて微笑んだ。
「…そうですね」
金色の太陽は、自らを、周囲を灼き尽くしても、輝き続ける。何者も、その輝きを消すことはできない。
だが……どうか。どうか、イーグルには、自身を灼き尽くすようなことには、ならないでほしい。
エメロード姫も、ザガートも。
そう…自分もまた、願わずにはいられないのだ。
それが叶わぬ願いだとしても。
それにしても、オートザムの内情に関わることを、こんなにも色々聞いてしまっていいのだろうか。もっとも、ランティスの方も、セフィーロに関する秘密をかなり喋ってしまっているわけだが。
ふとそんなことを思い、イーグルに聞いてみると、彼は笑って言った。
「あなたは僕の考えている事を何でも知っているような気がするんですよ」
ずっとあの青い空を見ていたから。そして時折、あの青い空も時にはこちらを見てくれているのではないかと感じていたから。
青い瞳が自分に微笑みかけてくれた時は、とてもとても嬉しかった。
「エメロード姫のことなんですが……」
急に話題を変えたイーグルを、ランティスは驚き見遣る。
「時々、哀しそうな顔をなさっているのをよく見かけます。
それがずっと気に掛かっていたのですが……」
そこでイーグルは一旦言葉を切り、続けた。
「でも、あなたの兄上がいらっしゃるから大丈夫ですよね」
そう言って、イーグルは笑った。
怪訝な顔をするランティスに、イーグルは続けた。
「想い合っておられるのでしょう?お二人は。
この美しい世界を支えるのは大変なことでしょうが、その姫を支えて下さる方がいるのなら、僕も嬉しいです」
そうか。イーグルは知らないのだ。セフィーロにおける禁忌を。
柱は、セフィーロ以外を愛してはならないことを。
まだ、そこまで気付いてはいない。
だが、いずれ気付くだろう。
微笑むイーグルを見ていてふと思った。
イーグルはエメロード姫に淡い恋情のようなものを抱いていたのではないかと。
それはまだはっきりと形になるほどのものではなかったのかもしれない。
しかし、彼がエメロード姫自身の苦しみに思い至ったのは、その明敏さ故だけではない気がするのだ。
そのイーグルは、ランティスの傍らで、澄んだ空を見上げている。
エメロード姫やザガートと同じ、溢れるほどの切なさをたたえた瞳で。
この青い空は、どれだけの想いを呑み込んでしまうのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
初めてエメロード姫に会った時、印象に残ったのは、陽の光を集めたような金色の髪と、澄んだ美しい瞳だった。
その大きな瞳の奥に、深い哀しみが潜んでいることに気付いたのは、いつからだろうか。
ここのところ、毎晩エメロード姫の夢を見る。
……あの瞳が脳裏に焼き付いて離れなくなったのは、いつからだろうか。
ザガートは、ざわめく想いを胸に抱えて夜の窓辺に佇んでいた。
揺れる心が漆黒の髪をなびかせる。
ザガートは自分の気持ちに気付いていた。
気付いてしまった。
そして、それが決して叶わぬ望みであることも知っていた。
しかし、それならそれでもよい。
もしこの想いが届いたなら、それはさらに彼の人を苦しめることになろうから。
想いを受け入れてほしいなどと、大それたことは望まない。
ただ、彼女が幸せであればそれでいい。
彼女の側に仕え、憂いを払い、その瞳が曇ることのないよう務めることができるなら、それだけで幸せだと思えるだろう。
だが、どうやらそんなささやかな望みでさえ、叶えてはもらえぬようだった。強く願えば何でも叶うセフィーロなのに。
エメロード姫は、幸せではない。
その愕然とする真実に気付いたのはいつのことだったか。
その時から、憂いをたたえたあの瞳が目の前から離れなくなった。
エメロード姫はいつも微笑みを絶やさず、憂いを見せることもないけれど、それが隠されているだけで、存在しないわけではないことを知ってしまった。
澄んだ瞳も優しい笑顔も、全てが哀しみに満ちている。
なんとかしてあげたい。
だが、どうすればいいのかわからなかった。
姫の哀しみの源を考えた時、真っ先に浮かんだのは、セフィーロに祈りを捧げる姿だった。
前々から感じていた事。
しかしはっきりと言葉にして知覚してはいなかったこと。
それはとても孤独な姿だった。
そして、イーグルに、あの異国の青年に会った時気付いた。
誰もが持っているべきものを姫が持っていなかったことに。
それは、「自由」だった。
彼は、意図したわけではないにせよ、こうして他の国を訪れた。
姫には叶わぬこと。
他国を訪うことも、そこで見聞きするものに心躍らせることも。
……愛することも。
イーグルの存在は、ザガートに様々なことを気付かせてくれた。
それは、あるいは、知ってはいけないこと、知らない方がいいことだったのかもしれない。
だが、いずれ知らずにはおれないものであったろうし、今さら知らなかったことにもできなかった。
「エメロード姫……」
2007.8.31
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