この青い空の下で(9)

 

 

 傍らでランティスが眠ってしまうと、イーグルはぼんやりと空を見上げた。

 青い空を、真っ白な雲が流れていく。

 ここに来たばかりの頃は、雲を見かけることすら滅多になかったというのに、最近はそれが増えたような気がする。

 これもエメロード姫の苦しみの形だろうかと考えると胸が痛くなるが、それさえも美しい純白の色に表される姫の心を思う。
 真白な雲は、青空の美しさをより一層際だたせる。

 オートザムの雲は濁った灰色で、空を全て覆い隠してしまう。
 しかしセフィーロでは、雲さえも美しく見える。

 ……苦しみさえも、美しく。


 ずっと、この青い空を想ってきた。

 セフィーロがエメロード姫の苦しみの上に成り立っていることに気付いてからも。

 その真実に胸を衝かれはしたが、ザガートがー姫が想い、また姫を想う者がいてくれるのだから、大丈夫だろうと思っていた。

 しかし、先程のランティスの表情を見る限り、どうやらそうではないらしい。
 柱と神官とは、想い合ってはいけないものなのかもしれない。

 それでは姫は、独り。
 ずっと一人きりで、その重圧に耐えていかなければならないのか。


 そうは思ってもイーグルは、やはりこの空への想いを止めることはできないのだった。

 姫が「柱」を引退し(どういう仕組みになっているのかはよくわからないが、いずれ終わりは来るだろう)、別の者が柱になれば、姫は苦しみから解放され、自由を手にしてザガートと幸せになれるだろう。
 だが、その時、この空の青が保たれているかはわからない。


 エメロード姫の幸せを願っている。心から。

 だが同時に、この空がいつまでも蒼く美しくあるよう、セフィーロが平和であるよう願ってもいる。

 自分は一体、どちらをより望んでいるのだろう。

 エメロード姫もザガートもランティスも、それがわからず苦しんでいるのかも知れない。

 もちろん、自分がどちらかを望んだからといって、何が変わるわけでもない。

 ただ、願いを消せないことが、苦しい。

 誰かを傷つけるとわかっている、願いを。


 エメロード姫の苦しみを知っても。

 旧友と対立しても。

 それでも、この空を求めずにいられない。



 ただ一人、セフィーロを支えるという重責を担うエメロード姫。

 それに対し、姫を想いながらも何もできないザガート。

 そしてそんな二人をただ見ていることしかできないランティス。

 苦しみをわかっているのに何も出来ない。
 助けたくても助けられない。
 これほど辛いことはないだろう。


 「柱制度」というのはひどく残酷なシステムなのかもしれない。

 しかし真に残酷なのは、それでも「柱」を、この美しい空を生み出す「柱」を完全には否定しきれない自分の心。


 ……何故人は、願わずにはいられないのだろう。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 破局が、近づいていた。

 終わりの始まり。

 それと気付く者は殆どいなかったが、兆しは既に現れ始めていた。

 空に、大地に、木々に、花々に。
 このセフィーロのすべてに。

 ランティスは、それらをただ、見つめていた。

 そうすることしかできなかったから。

 そんな時、傍らに友人がいてくれることが、ひどくありがたかった。

 しかしそれも、これで終わり。

 イーグルは今日、オートザムに帰る。


「…もう、帰るのか」

 FTOの前で見送りに立ちながら、ランティスは言葉をかける。別れを惜しむ気持ちが瞳から溢れだしている。

 これから起こるであろう悲劇を考えれば、イーグルはあまりセフィーロに長く留まらない方がいい。
 イーグルのオートザムへの想いも知っている。

 それでもランティスは、イーグルが去る事を残念に思っていた。

 終わりの始まりに気付いても。

 親友が微笑みかけてくれる時、ランティスは幸福だった。

「……本当はもっとお邪魔していたかったのですが。

 事情が判明した以上、あまりゆっくりもしていられません。

 早く対処しなければ、僕の友人達を危険にさらすことになります。

 それに、あまり帰りが遅くなると、ジェオに叱られてしまいますし」

 そう言うイーグルの瞳にも、ランティスと同じ思いがあった。
 名残惜しい気持ちは消えない。

 空と引き離された太陽が、ようやく青空のもとに辿り着いたのに。

 なのに、帰っていくのか。青空の見えぬ地へと。


「いつか、オートザムに遊びに来て下さいね」

 ジェオの手料理をご馳走しますよ。

 そう言って、イーグルは笑った。

 わかっている。ここは、イーグルの空ではない。

 黄金の太陽の輝くべき空は、ここではない。
 ここには既に、エメロードという太陽がある。

 イーグルが輝くべきは、別の空だ。

 そしてランティスが求めているのもまた、……別の空だ。

 太陽が自身を灼き滅ぼすことのない空。

 それでこそ本当に美しい空だといえるのではないかと、ランティスは思う。


「その時までには、オートザムの空を、もう少し綺麗にしておきますよ」

 それがたとえどんなに遠い道のりであっても。

 願わなければ何も始まらない。

 強く願えば、いつか、きっと。

 この空に負けないほど美しい青を、取り戻せるはず。

 その過程で誰かを傷つけてしまうかもしれない。

 けれどその後には、決して誰も傷つけることのない空を。

 そしていつかは、このセフィーロの空をも、誰の涙を流すことなく輝けるよう。


「どちらが先に叶えられるか、競争ですね」

 そう言って、イーグルは笑った。

 初めて会った時と同じ、強い光をその瞳に湛えて。



 イーグルと出会って、本当の空を知った。

 本当の太陽を知った。

 そして今胸に描く、本当に美しい空。


 友の瞳が空に映されますように。

友の瞳が空に輝きますように。


 二つの国で、二つの願いが。

二対の瞳、二色の輝きが。


 合わさったその一瞬を、互いの瞳の中、二人は確かに見た気がした。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 FTOの席上から、イーグルは最後にもう一度セフィーロを振り返った。


 澄んだ青い水をたたえた泉。

 色とりどりの花々。

 緑なす大地。

 頬を撫でる柔らかな風の調べ。

 そしてー蒼い空。

 全てが遠ざかっていく。


 はじまりは、幼き頃に聞いたおとぎの話。

 セフィーロの空を見た事で、空の本当の色を知った。

 願いが、希望が生まれた。

 だから、―それを絶やさずにいたい。

 もしもセフィーロから青い空が失われることがあっても、人々がそれを求める心を失わないように。

 そしていつか、本当に美しい空がもたらされるように。

 

「……また会う日まで」

 

 

 

2007.9.11

 

 

 

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後書き

 長編であるにも拘わらず、最後までお読み下さり、ありがとうございました。
 原作やアニメでは、オートザムにいるイーグルのもとをランティスが訪れる、という形になっていますが、その逆のパターンというのも面白いのではないかと思い、このような話を作ってみました。
 平和だった頃のセフィーロで幸せそうに微笑むイーグルを描きたかった、というのも大きな動機。
 しかしそのせいか、イーグルが幸せな時はなかなか話が進んでいかないという……。(苦笑)
 話の進行速度がバラバラになってしまったのも、山ほどある反省点の一つです。
 また、アニメでは紫だったランティスの瞳。原作では青いのを知った時、何故違うのか最初不思議でした。でも三巻が発売されて明らかになった「イーグルがずっと憧れていたセフィーロの空と同じ色だから」だという理由が大好きだったので、この小説でも、それに関連した描写が多くなっています。…ちょっと多すぎたかもしれません。(苦笑)
 ずっと幸せな話にしたかったのですが、エメロード姫とザガートが出てくる時点でそういうわけにもいかないことに気付いてしまいました。
 真相を知れば知るほど泥沼にはまってしまいそうで。結局、ハッピーエンドにするためには、「柱の矛盾には気付くが魔法騎士の伝説については知らない」ということに。
 魔法騎士と出会うというのも面白そうではあるけれど、どう考えても深く関わりすぎでハッピーエンドには終わりそうになく……しまいには、「エメロード姫が自分を殺してくれとイーグルに頼む」という怖ろしい考えが頭をよぎり、魔法騎士のことを知る前にオートザムに帰ってもらうこととなりました。
#もっとも、セフィーロは破滅の色を濃厚に漂わせたままなので、完全にハッピーエンドとはいえないかもしれませんが。
 それにしても、あれやこれやで悪戦苦闘しているうちに当初の予定に亀裂が入り、後半は空中分解を起こしかけている始末……色々と反省することしきりですが、最後までおつき合い下さって、本当にありがとうございました。

 

 

 

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