この青い空の下で(6)

 

 

 ずっと憧れていたエメロード姫に会うことができた。

 ランティスの兄からは温かい言葉をかけてもらった。

 それはとても嬉しいことだったが、イーグルは、それ以来どうも二人の様子が気にかかっていた。

 話している時、エメロード姫の瞳に、何か感情の揺らぎのようなものが現れた。それも、喜びとは正反対の。ザガートもそうだった。
 何か気に障ることを言ったのだろうか、とも思ったが、それが何なのか、いくら考えてもわからない。
 しかし、それ以外に、二人の瞳を曇らせるものなどあるのだろうか。憂い事など何もないかのような、このおとぎの国セフィーロで。

 あの後もエメロード姫やザガートをたびたび見かけたが、二人はいつも何か物思いにふけっているようで、イーグルを見ると、瞳に何とも形容しがたい色を浮かべた。もっとも、それは一瞬で消え去り優しい微笑にとってかわるのだが、その奥には何か深い哀しみが秘められているようで、イーグルは胸が痛くなるのだった。

 エメロード姫の、この空と同じ青く澄んだ瞳。

 ザガートの、ランティスと同じ優しい瞳。

 それらが曇るのは嫌だった。その原因が自分にあるかもしれないと思えばなおのこと。

 ランティスは気付いているのだろうか。
 イーグルはいずれ機を見て問うてみるつもりだった。

 だが、さしあたってそれより先に解決しなければならない問題がある。
 
FTO の部品のことだ。

 FTOの修理に必要な材料が足りない。

 それをランティスに告げると、彼はサンプルに渡したいくつかの部品を持ってふらりとどこかへ姿を消してしまったが、半日足らずで戻ってきた。
 見慣れないものだったので、セフィーロで武器を作る「創師」という職業の人に代用できそうな鉱物がないか聞いてきてくれたらしい。
 それによると、「スライ」や「クスト」という鉱物で代用できそうだとのことだった。

 ただ、これらの鉱物は武器を作るのに使われるため、城にもストックはないらしい。セフィーロでは武器が必要な者は、自分で材料を採りに行く決まりがあるとかで、材料だけ集めて手元に置いておくという習慣はないようなのだ。

 「スライ」は魔法が使えないと行けない所にあるそうだが、「クスト」は逆に魔法の使えない所にあるらしい。
 「クスト」を採りに行く許可と地図を頼んでみると、ランティスはそれを了承してくれただけでなく、一緒について来ると言った。

「材料は、自分で採ってくる決まりではないのですか?」

 と聞いてみたら、

「連れがいても構わない」

 と短く返事が返ってきた。
 綺麗な青い瞳に、少し心配そうな色が浮かんでいる。

 ……ランティスは優しい。

 イーグルはふわりと微笑んだ。
 温かく青い空に包まれて、イーグルは幸福だった。


 そして次の日、イーグルとランティスは早速「クスト」を採りに出かけることになった。
 城の外に出るのは初めてだったので、こうしてランティスと出かけられるのはとても嬉しかった。今朝は楽しみで、珍しく起こされる前に目が覚めたほどだ。

 一体どんな景色が待っているのだろう。
 この青い空の下、やはり緑の木々や色とりどりの花々が優しい歌を奏でているのだろうか。

 イーグルは胸の高鳴りを抑えられずにいた。

 「クスト」は「沈黙の森」という魔法も魔法の道具も一切使えない所にあるという。
 ランティスの剣も魔法の道具なのだそうで、沈黙の森では役に立たないからと、今日は別の剣を装備している。
 重そうな剛剣だったが、イーグルの見ている前で、鎧についている宝石の中に吸い込まれてしまった。必要な時は自由に取り出せるのだとか。
 それは魔法ではないのだろうか、と不思議に思い聞いてみたところ、これは宝石そのものの力だそうで、エメロード姫の創ったセフィーロの理に由来し、魔法という媒介を使わず直接精神力が使用されるため「沈黙の森」の影響は受けない、と教えてくれた。

 どうやら「沈黙の森」というのは、魔法という媒介のみを遮断する場であって、精神力の発現そのものを阻害するものではないらしい。
 それならばオートザムの武器は大丈夫だろうとイーグルは判断し、いつもの装備で行くことにした。

 沈黙の森の入口までは、ランティスの馬で乗っていける。
「精獣召喚」

 ランティスが呪文を唱えると、黒い真珠のような光沢を放つ綺麗な馬が現れた。
 鎧だけでなくペット(?)まで真っ黒なのかと思うと、なんだかおかしかった。

 そっと手を伸ばし、撫でてみる。
 ……温かくて、柔らかい。
 ランティスと同じ、深く優しい瞳の色。
 黒馬は頭を下げてイーグルにすり寄り、甘えるような仕草を見せた。

「……気に入られたな」

 側にいたランティスが、わずかに微笑の気配を漂わせ、声をかけてきた。
 青い瞳には、黒馬と戯れるイーグルが映し出されている。
 そういえば中庭で昼寝をしている時も、いつも小鳥たちがイーグルのまわりに集っていた。
 生き物は、光のもとに集うもの。
 微笑むイーグルのところには、エメロード姫と同じく、周囲に光が凝縮しているように見える。

「では、あなたの友達は僕を乗せてくれるでしょうか」

 イーグルは周りに光を踊らせたまま、期待に満ちた眼差しで問うた。

 ランティスから空飛ぶ馬の話を聞いた時から、乗ってみたくてたまらなかったのだ。
 以前乗せてほしいと頼んだ時は、イーグルの疲労がまだ完全に回復していないから駄目だとか落ちたら危険だとか言っていくら頼んでも乗せてくれなかったのだが、やっと乗せてもらえる。

 ランティスが頷くのを確認すると、イーグルは湧き上がる喜びを抑えきれず、黒馬に飛び乗った。

「よろしくお願いします」

 そっとたてがみを撫でて話しかけると、黒い騎士は頼もしくいなないた。

 続いてランティスが飛び乗り手綱を握ると、黒馬は力強く空を蹴り、宙に舞い上がる。

 それはFTO に乗るのとはまた違った快感だった。

 あの青い空に近づいたのを感じる。

 風が歌っているのが聞こえる。

 見下ろせば、どこまでも広がる緑。

―美しい。
 セフィーロは本当に、信じられないほど美しい国だ。
 時々、これは夢ではないかと思う。
 あの灰色の空の向こうに、こんなにも美しい世界が存在する。
 それが不思議でたまらなくなる時がある。
 ああーこの光が、色が、あの滅び行く大地に与えられたなら!

 イーグルの瞳は、セフィーロの空を、大地を、とても愛おしげに映し出す。
 しかし同時に、黄金の瞳にたゆたう切なさも、いや増す。

 イーグルは気付いていなかった。
 それは、ザガートやエメロード姫がイーグルを見た時に見せる瞳の揺らぎにひどく似ているということに。


 そして、空を駆けること約半日。何事もなく二人は沈黙の森の入口に着いた。

 途中、色鮮やかな小鳥たちが集まってイーグルの隣を飛ぶのに手を伸ばそうとして、ランティスから「馬から手を離すな」と何度か怒られはしたが、それ以外は順調な旅だった。

「ああ…消えてしまいましたね」

 二人が降りると、黒馬は音もなく姿を消した。
 ランティスの剣の中で休んでいるのだとわかってはいるが、ついさっきまで傍らにあった温もりが消えてしまうのは寂しいものだった。

「帰りにまた乗れる」

 それを感じ取ったのだろうか、ランティスがぽん、とイーグルの肩をたたいた。

「そうですね」

 微笑みながら、イーグルは故郷にいる友人達を思い出す。
 彼等もここにいたら、きっともっと楽しかっただろう。

「ここから先には魔物が出る。注意しろ」

 ふいにランティスの気配が鋭くなった。
 つられるように、イーグルも好戦的な笑みを浮かべる。

「それは楽しみですね」

 美しいものばかりのセフィーロにいる魔物というのがどういうものなのか、興味があった。

 ランティスは、やれやれという風にため息をついたが、何も言わず歩き出した。
 イーグルも後を追う。

 森に一歩足を踏み入れると、そこは別世界だった。

 木々が覆い茂り、青い空が見えなくなる。
 太陽の光も十分に届かないようで、薄暗い。
 空気も冷たくなったように感じる。
 そして、そこかしこから感じる得体の知れない気配。

 ランティスが「危険な場所」というのも頷けた。

 草木の闇に覆われた森。沈黙の森。

―でも、空気は澄んでいた。

 恐らくセフィーロの中でも特に暗部の集った場所であろうに、それでもこんなにも風が心地いい。
 オートザムでは、最も環境に配慮された場所でさえ、このような空気を味わうことはできなかった。

 これが「柱」の違いだろうか。オートザムにも柱制度があればいいのに、とイーグルが思った時。

 突然傍らの茂みが揺れて、奇怪な姿の生き物が飛び出した。
 ランティスが一撃で屠り去る。

「これが魔物ですか」

 鋭い牙と爪、妙に不均衡な体つき、全身から漂う悪臭。
 人の悪感情を引き出す全ての要素を備えている。

 そう言えば、セフィーロでこれまで見てきたのは美しいものばかり。
 綺麗でないものを見たのは、これが初めてだった。

「戦う相手にはいいかもしれませんけど、やっぱり、いない方がいいですよね。
 全滅させることはできないんでしょうか?」

 何気なく物騒なことを呟くイーグルに、ランティスは答えた。

「セフィーロの魔物は、ここに住む者達の心が生み出したものだ。
 不安や恐怖、悲哀、憎悪……様々な負の感情が、魔物を生み出す。
 故に、人がいるかぎり、魔物がいなくなることはない」

 ランティスの口調は、いつも通りの淡々としたものだったが、イーグルに衝撃を与えるには十分だった。

 セフィーロはおとぎの国。
 綺麗な青い空と、暖かな日差し、柔らかい風は、ずっと憧れだった。
 そんな美しい国に住む人は、人が抱える負の感情とは無縁の存在で、皆幸福に暮らしているものと、なんとなく思い込んでいた。

 でも、そんなはずはなかったのだ。
 いくら美しい国だとて、人であることの悲哀までなくしてしまえるわけがなかったのに。

「……そうですよね。そういう存在があるのが当たり前なんですよね……」

 セフィーロは夢の国ではない。
 だから、不安も哀しみも存在する。

―「おとぎの国」は存在しない。

 その認識は、イーグルの胸を刺した。だが、貫きはしなかった。

―それでも、あの空は美しかったのだ。

「でも、逆に言えば、人の負の感情がたったこれだけに抑えられ、外にはあれだけ美しい世界が広がっている……不思議な気がしますね。
 これも、エメロード姫のお力でしょうか。」

 改めて、感嘆の思いがこみあげる。
 だが、それと同時に浮かび来る、違和感のようなものがあった。
 そう。それまで硬いダイヤモンドだと思っていたものが、脆いガラスだと気付いた時のような……。



 こんな美しい世界が存在するなんて信じられない、と思っていた。
 見るもの聞くもの、全てが夢のようで。
 これら全てはエメロード姫という一人の少女の創り出したもの。
 では、セフィーロそのものが夢のようなものだとは言えないだろうか。
 しかし、夢は儚い。夢は、どこか不安定だ。
 いつか消えてしまうのではないかという不安がつきまとう。



「しかし、姫自身は、不安など全く感じることはないのでしょうか。
 心が全てを決定する世界が、これほどまでに美しく平穏なまま保たれているというのは、どこか不自然な気も……
 あ、すみません、なんとなくそんな気がしただけです。
 気になさらないで下さい」

 それは、本当に何気ない言葉だった。

 だが、それがランティスに与えた影響は大きかった。

 イーグルの言葉がこの後に起こる悲劇を予感させるものであると感じたのかもしれない。


―金色の太陽は、全てをその輝きで照らし出す。
 そう。影に隠されていたものさえも……。

 

 

 

2007.7.19

 

 

 

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