この青い空の下で(4)
イーグルがセフィーロにやって来てから、はや三週間がすぎた。
ランティスは、せがまれるままに、城のあちこちを案内した。
あまり教えるべきでない事柄まで教えてしまってクレフから何度か苦言を呈されたこともあったが、あの期待に満ちた眼差しと輝く笑顔を見ると、つい色々話してしまうのだった。
イーグルは、このセフィーロで見るもの、聞くものその全てに関心を示し、瞳を輝かせた。
また、何も言葉を交わさなくても、イーグルが隣にいるだけで、不思議と心が安らいだ。言葉を使わなくとも、最も大切なものを二人は理解し、共有しているのだという気がした。それは初めての感覚で、とても心地よいものだった。
そんなある日のことだった。
木の上から、剣の修行に励むランティスを眺めていたイーグルが、ふいにこんなことを言い出した。
「ねえランティス、僕とちょっと剣で勝負してみませんか?」
見上げると、イーグルが瞳に鋭い光を煌めかせ、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
いささか唐突な申し出に、ランティスは最初戸惑ったものの、すぐに気付いた。
この言葉は二人の間に発せられるのをずっと待っていたのだと。
イーグルがただの使い手ではないことはランティスも薄々感じていた。ランティスも戦士。強い相手とは、是非剣を合わせてみたい。
しかし、何より。
―彼が一体どれ程の強さの持ち主なのか、知りたい。
出会った時から心のどこかでずっと、そう願っていたような気がする。
隙のない洗練された物腰。柔らかな笑顔。
瞳に並ならぬ強靱な意思を感じさせる一方、何もないところで転んだりする。
彼は本当に不思議な存在で。
イーグルの強さを、その瞳の奥にあるものを、確かめたかったのだ。
おそらく、それはイーグルも同じなのだろう。
イーグルの瞳の奥に潜む危険な光を認め、ランティスは思った。
試合は、中庭で行うことになった。
柔らかな日差しが降り注ぐ中、二人は対峙する。
微笑むイーグル。
瞳を閉じて、静かに手を伸ばす。
するといつものふわふわした感じは消え失せ、かわりに戦士の気配が高まっていく。
そして、黄金の瞳が開いた。同時にその手に剣が閃く。
燃える太陽。凍てつく白銀。
それらが合わさり、一気に膨れあがった。
怖ろしいほどの気迫。
それに押されて、ランティスはわずかに反応が遅れた。
その一瞬に、イーグルはもうランティスの目の前に迫っていた。
―速い。
黄金の瞳がすぐ間近にある。
ランティスはなんとかイーグルの剣を受け止めると、それを無理矢理力で弾き飛ばした。
しかしイーグルはそれを受け流して後ろへ跳ぶ。
攻防が続いた。
ランティスの攻撃を、イーグルはあるいはかわし、あるいは巧みに受け流す。
そしてわずかな隙をついては、的確に急所を狙ってくる。
鋭い攻撃。
強い。これほどの相手と戦ったのは初めてだった。
ふと見ると、イーグルの口元に笑みが浮かんでいた。
不敵で怖れを知らない笑み。戦士の笑み。
これがイーグルだ。真の戦士。
戦士イーグル・ビジョン。
ランティスの中を戦慄と興奮が駆け抜ける。
と。
ふと、イーグルの気がそれた。ほんの一瞬。
ランティスはその隙を逃さず剣を喉元に突きつけた。
一瞬、黄金の瞳が驚きに見開かれる。
「負けちゃいましたね」
ランティスが剣を収めると、イーグルはのほほん、とした声で言って苦笑した。先程までの激しく鋭い気配は消え失せ、そよ風のような柔らかな笑顔を浮かべている。
それにしても、何故彼はさっき気をそらしたのだろう。何に気をとられたのだろうか。
ランティスは気になって、イーグルが先ほど向けた視線の先に目をやった。
そこには、可憐な花一輪。
その視線に気付いたイーグルは、また苦笑した。
「すみません、つい……。
それにしても、強いですね。負けたのも、こんなに強い人と戦ったのも初めてでした。とても楽しかったです。
わがままを聞いて下さって、ありがとうございました」
負けたと言いながらも、その表情はどこか嬉しそうである。ランティスはわずかに微笑んだ。
「……お前に勝ったのは、俺ではない」
ぽつりと言ったランティスに、イーグルが怪訝な顔をする。
「勝ったのは……エメロード姫だ」
その言葉にイーグルは少し驚いたように目を見開いたが、やがて
「そうかもしれませんね」
とふわりと微笑んだ。
イーグルの周囲に光が集う。
その笑顔はどこかエメロード姫に似ていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
イーグルは黄金の光が差し込む緑の中を歩いていた。
まだ昼間だというのに、ランティスが魔物討伐に出かけてしまったので、イーグルはお茶を飲む相手がいなくなり、午後の予定を変更せざるを得なかった。
いつも彼は日が暮れてから出かけていたのだが、今日は親衛隊の訓練も兼ねているとかで、こんな時間から行くことになったらしい。
あの無口な男が一体どんなふうに訓練を実施するのかイーグルは非常に興味があったのだが、ついて来てはだめだと言われたので残念ながらお留守番である。
FTOの修理ができればいいのだろうが、材料が足りなくなってきておりそれもままならない。丁度ランティスに相談しようと思っていた頃だったのだが。
イーグルは風に揺れる木の葉を眺めながら、昨日の試合に思いを馳せていた。
―ランティスは強かった。今まで戦った中で、一番。
どんな攻撃も弾かれ、付け入る隙が全くない。
まるで壁のようだと思った。
けれどその壁はいつも空気のように透明で、ごく自然にイーグルの傍らにあるのだった。
セフィーロの風が、優しくイーグルを包み込む。
そしてランティスも間違いなくこの大地の一部だった。
―このセフィーロの創造主たるエメロード姫は、一体どんな人なのだろう。
それはオートザムにいた時からずっと知りたいと思っていた事だったが、こうして直にセフィーロの風に触れたことで、ますますその思いは強くなった。
エメロード姫について、イーグルは多くを知らない。
だが、確信があった。
彼女はこのセフィーロそのもの。
きっとこの青い空のように美しい心を持っているだろうと。
この日差しのように暖かく、この風のように優しい。
ランティスがそうであるように。
さわさわと花が、木が揺れる。
それがまだ見ぬエメロード姫の微笑みのように、イーグルには思えたのだった。
ふいにどこからか美しい歌声が聞こえてきた。
風の囁きに混じって、黄金色の旋律が押し寄せてくる。
イーグルは、その源に向かって知らず知らず歩き出していた。
それは時に大きく小さくなりながら、白銀の風を誘う。
そうして木々の間を抜けると、目の前に、一面の花畑が広がっていた。
赤。青。白。黄。緑。薄紅。薄紫。
あふれる色の中で一際目を惹いたのは、その中心に輝く黄金色。
光の滝のような金の髪。
ふいに歌がやんで、黄金の滝がふぁさりと揺れた。
イーグルの気配に気付いたのか、ゆっくりとこちらを振り向く。
美しい瞳が白銀の風を捉えた。
イーグルは思わず息を呑んだ。
その瞳は、この空と同じ、青い色をしていた。
ランティスと同じ、澄んだ深い色。
―エメロード姫……。
二つの太陽が出会った瞬間だった。
「まあ。あなたは、ひょっとして……イーグルですね?」
ガラスの鈴を転がすような声で姫は問うた。
「はい。イーグル・ビジョンと申します。エメロード姫。
この度は城を壊してしまって、本当にすみませんでした。
それなのにこうしてセフィーロでの滞在を許可していただき、感謝しています。ありがとうございます」
我に返ったイーグルが、完璧な作法で挨拶する。
「助けになれたのなら何よりです。
どうぞ楽になさって。こちらへ来ておかけなさい」
黄金に包まれた青が優しく微笑む。
言われるままにイーグルはエメロード姫の隣に腰を下ろした。
柔らかな風が吹き抜ける。
「……綺麗な空ですね」
ややあってイーグルが口を開いた。
「空だけじゃない。花も、木も、池も……皆美しい。
今まで、夢の中でしか見ることのできないものでした」
微笑をたたえた口元から、憧れと切なさがこぼれ落ちる。
「このセフィーロでは、どんな夢も、現実になります。
……強く願いさえすれば。」
微笑みながらそう言ったエメロード姫の瞳に一瞬、わずかな翳りが差したが、すぐにまた柔らかな光がそれを覆い隠した。
「あなたの国まではその力が及ばないのが残念です。
けれど、諦めないで。
この世界の創造主は、人々の幸福を願って世界を創り上げたのです。あなたの国もその一つ。
強く願えばいつかきっと道は開けるものと、私は信じています」
静かだが、その口調からは凛とした強さが感じられた。
「ありがとうございます。エメロード姫。
僕もそう信じています。いえ、必ず実現させます。
この空のように美しい青を、故郷にもたらすと」
イーグルの瞳に強い光がきらめく。
それはセフィーロの太陽より、なお眩ゆい光だった。
二人の視線が合う。
その瞳が強い願いを宿していることを互いは悟った。
だが、このセフィーロの他にエメロード姫が何を望んでいるのか、イーグルにはわからなかった。
おそらく、エメロード姫自身も。
エメロード姫はセフィーロの太陽であり、イーグルはオートザムの太陽であった。
太陽を真に知る者は太陽しかなかった。
太陽はただ一つの存在。
どこまでも広がる空、ひとりきりで輝き続ける。
―二つの太陽が出会った時、何が起こるのだろう。
2007.7.1