この青い空の下で(3)

 

 

 体が何か温かいものに包まれているのを感じる。

 さわさわと耳に届くのは、どこか懐かしく、そしてとても優しい音。

 どちらも、イーグルがそれまで感じたことのないものだった。

 この温もりは何だろう。この音は何だろう。

 そっと目を開けると、金色の光が飛び込んできた。

 頭上には大きな枝が広がり、緑の葉が空を覆っている。

 風が梢を揺らす音が耳に優しい。

 知らなかった。風がこんなにも優しく吹くものだったとは。

 知らなかった。木々がこんなに力強いものだったとは。

 イーグルがゆっくりと身を起こすと、樹の向こうに青い空が見えた。
 求めてやまなかった青い空。届きそうで届かない。

 しかし自分は今、あのおとぎの国、セフィーロにいる。


 この国にFTO が不時着し、ランティスに案内されて向かった先には、神官ザガートと導師クレフがいた。

 ザガートはランティスの兄だという。声がそっくりだった。そういえば、瞳も似ているような気がする。青い色ではなく夕闇の紫色だが、ランティスの瞳と同じ、とても優しい感じがする。
 クレフは一見子供のように見えるのだが、声も落ち着き払っており、不思議な威厳があった。聞くところによると、七百歳を越えているという。雰囲気からすれば不思議ではないが、それにしても、ずいぶんと若く見える。この調子だと、ザガートやランティスも、実はかなりの高齢なのかもしれない。

 ランティスは無口で殆ど喋らなかったが、ザガートとクレフはイーグルに様々なことを尋ねてきた。
 中でも二人が特に気にしていたのは、何故イーグルがこのセフィーロにやってきたのか、ということだった。
 セフィーロを訪れるものは多くないというし、特にオートザムとは離れてもいるから色々と気になるのだろうと最初は思っていたのだが、どうやらそれだけではないらしい。
 なんでも、不時着した
FTO はこの城に激突して城は半壊したのだという。俄には信じがたい話だが、もしもそれが事実だとすれば、彼等がイーグルを警戒するのも無理はない。しかし不思議と彼等からは敵愾心は感じられず、そこにあったのは警戒心よりもむしろ、困惑だった。
 もし本当に
FTOが城に激突、破壊したのだとすれば、もっとこちらに敵愾心や警戒心を抱いてもいいはずなのに。しかし、彼等が嘘をつく理由もない。

 イーグルは困惑した。
 そもそもここがセフィーロであるということからして、まだ信じられない気分でいるのだから。
 
FTOが破損した場所は、セフィーロからはかなり離れており、たとえ万全の状態だったとしても、辿り着くのはかなり困難だったろう。あのように傷ついた状態で、あれだけの距離を移動できるはずがない。
 不可解な点はまだある。たまたまセフィーロの方向に
FTOを向けた状態で意識を失ったとして、その途中には、他にも不時着してしまいそうな国がいくつかあるのだ。そのどれにも引っかからずに、こんな遠い所まで飛んできてしまうなんて。
 その上城に激突したとなると……。ゼロではないが、確率的には殆どあり得ない。

 FTO が破損した原因などについては微妙にぼかしつつも、そう、イーグルは事情を説明した。この状況に、まだ戸惑いを隠せずにいることも。

 普通ならとても信じてはもらえない話だろうが、三人とも何故か一応納得したようだった。
 そしてまたイーグルも、それが特に奇異なことには感じられなかった。

 ランティスも、ザガートも、クレフも。
 その澄んだ思慮深そうな瞳は、全てを見抜いてしまいそうな深い色をたたえている。
 特に、ランティス。その青い瞳を見ていると、彼はイーグルの思っていること、考えていることを全て知っているのではないかという気にさせられてしまう。そんなはずはないのだけれど。

 一通りのやりとりを終えた後、導師クレフは言った。

「セフィーロに害意がないのであれば、歓迎しよう。好きなだけここでゆっくりしていくといい。
 あの白い機械はひどく壊れていたから、なおすにしてもひどく時間がかかるはずだ。
 他国からの客人は珍しい。特に、機械国オートザムからセフィーロを訪れた者など、何百年ぶりだろうか。
 差し支えなければ、他国の珍しい話など、色々お聞かせ願えるとありがたい」

 穏やかなクレフの言葉に、イーグルは笑って礼を述べた。
 完全に警戒心を解かれたわけではないにせよ、この青い空の下に住む人々に迎え入れてもらえたことが嬉しかった。
 一応ランティスがお目付役となるようだったが、そのこともむしろ喜ばしいと感じていた。
 この青い目の人と、もっといろいろ話してみたいと思っていたところだったから。


「目が覚めたか?」

 突然イーグルの側に黒い影が現れた。見上げれば、その中心には青い空。

「……ランティス」

 イーグルは微笑んだ。

 ザガート達との話が終わった後、イーグルとランティスは、また別の渡り廊下に出た。そこから見える青空に、イーグルがついみとれてしまっていると、ランティスはそのまま彼をこの樹の下まで連れてきてくれたのだ。「この城で一番暖かい場所だ」と言って。
 そうして彼の隣に座って風の音を聞いていたら、なんとなく眠くなって眠ってしまったのだった。

「おはようございます。また眠ってしまっていたみたいで、すみません」

「……いや」

 ランティスがわずかに微笑んだ。ような気がした。

「どこへ行っていたんですか?」

 ランティスは答えず、黙ったまま両手を差し出した。
 見ればランティスは、両手に果物のようなものを抱えていた。

「これは……セフィーロの、果物ですか?」

「ああ。……食べるといい」

 眠っている自分を起こさずに、わざわざ採りに行ってくれていたのだろうか。
 そうして受け取った色とりどりの果実。
 セフィーロの果物は、どれも食べたことのない味がした。

「おいしいですね」

「そうか」

「ええ。僕の友達にもぜひプレゼントしたいところです。持って帰れないのが残念ですね」

 そう言って、イーグルは笑った。
 相変わらずランティスはほとんど喋らず、表情も変えなかったが、イーグルは不思議な安らぎを感じていた。

 やがてランティスは、すぐ戻るからここにいろ、とだけ言い残してまたどこかへ出かけて行った。

 イーグルのお目付役のはずなのに、こう簡単に離れてしまっていいのだろうか。しかしもし立場が逆だったら、自分も同じように「不真面目なお目付役」だったろう。そう思って、イーグルはなんだかおかしくなった。

 立ち上がって、樹のまわりをぐるりと歩いてみる。青い空に緑の樹。ここにあるのは美しいものばかりだ。

 確かに自分は今セフィーロにいるのだと、イーグルはようやく実感しはじめていた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 ランティスは廊下を歩きながら、あの白銀の訪問者のことを考えていた。

 ザガート達に会わせた後、あまりに熱心に青空を見上げていたものだから、思わず中庭の樹のところまで連れて行ってしまった。
 この城で一番暖かい、自分の最もお気に入りの場所に。
 べつに独占しようと考えているわけではないが、これまで特に誰かをその場所に連れて行きたいと思ったこともなかった。
 しかしなぜか、あの青年には是非ともあの場所を教えてやりたいと思ったのだ。

 樹の側に案内すると、イーグルは、とても嬉しそうに笑った。

 それはたいそう幸せそうで、思わず引き込まれてしまいそうな印象的な笑み。まるで、エメロード姫のような。

 瞳の奥には激しい戦士の魂が宿っているというのに、こんなにも優しく柔らかく微笑むことができるなんて。

 もっと彼の笑顔を見たい、とそう思わずにはいられない。

 ランティスの一番のお気に入りの場所で、イーグルはすぐに寝入ってしまった。その寝顔がまた幸せそうで。
 ここでの昼寝はランティスにとっても至福の時間だが、イーグルはもっとその幸福を享受しているような気がした。


 廊下を抜けて中庭に顔を出すと、イーグルは立ち上がってまた空を眺めていた。

 ―なぜ彼は、あんなにも焦がれるように空を見つめているのだろう。

 イーグルは、空へと続く階段を上るように歩いている。

 その時、ふとランティスは気付いた。

 イーグルの足元に、冷たい水をたたえた池が広がっていることに。

 慌てて声をかけようとしたが、時既に遅し。

 派手な水音を立てて、イーグルは池の中に姿を消した。

 慌てて側に駆け寄るが、浮かび上がってくる気配はない。

―まさか、泳げないのでは。

 これは助けに入ったほうがいいかもしれない、とランティスが思った時、水面に波紋が生じ、イーグルが顔を出した。
 ランティスの姿を認め、笑いかけてくる。

「あ、ランティス!池の中に、魚がいたんです。それも、たくさん。
 一緒に泳いだんですよ。それに、水がキラキラ光ってて、とても綺麗でした」

 とても嬉しそうに、イーグルは言う。まるで子供のように、顔を輝かせていた。

 ランティスも、子供の頃、ザガートと川で遊んだことがある。
 楽しかった。だが、その時自分は、これほどの輝きを瞳に宿していただろうか。

 イーグルの瞳は美しい金色にきらきらと輝いている。

 彼の瞳には、このセフィーロは、自分が見たよりもずっと美しく映っているのだろう。

 これほどまでにセフィーロの美しさを感じ取ることができる者は他にいまい。おそらく、創造主たるエメロード姫ぐらいだろう。

 セフィーロに住む自分より、他国から来たこの青年の方が、セフィーロを理解し、エメロード姫に近いところにある。

 ランティスは恥じ入ると共に、イーグルに対し尊敬の念を覚えた。

「ランティスもどうですか? まるで別の世界にいるようですよ」

 イーグルに声をかけられて、ランティスは我に返った。
 彼の笑顔をずっと見ていたかったが、そういうわけにもいかない。

「水は冷たい。もう上がった方がいい」

 そう言って手をのばしたのだが、イーグルは「もうちょっとだけ」と言って、返事も待たずにまた水の中に消えてしまった。

―本当に、子供のようだ。

 ランティスはため息をついたが、その口元には笑みが浮かんでいた。

 それからイーグルは随分長い間池に潜っていた。長い時間潜っていられることに、イーグル自身驚いていたようだが、セフィーロは意思の世界。これだけの時間平気で潜っていられるのも、彼の意思の強さ故だろう。

 青空を眺める彼、無邪気に笑う彼、戦士としての彼。
 それら全てが、ごく自然に調和している。

 イーグルは本当に、興味の尽きない人物だった。

「池の底で拾ったんです。綺麗だったので、持ってきちゃいました。
 お詫びにどうぞ」

 ようやく池から上がったイーグルが、そう言ってランティスに差し出したのは、つやつやと光る小石だった。それは綺麗な青い色をしていた。
 あなたの瞳と同じ色ですね、と言ってイーグルは笑った。


 その後、イーグルが
FTO (あの魔神もどきのことらしい)と城の様子を気にしていたので、そこまで案内することにした。

 時折イーグルは足を止めて、花や樹や青い空に見入った。そんな時ランティスは、一緒に足を止めてイーグルの見つめているものを見た。そうすると、それらがこれまでよりも美しく見えてくるのだった。

―本当に、不思議な奴だ。

 ランティスはイーグルを見てそっと微笑んだ。

 視線はついイーグルを追ってしまう。

 それに、そうでなくてもイーグルから目を離すわけにはいかなかったのだ。

 イーグルは、セフィーロの景色に見とれるあまりか、つい足元の注意が疎かになって、よく転んでしまう。柱に激突しかけたこともあった。

 ランティスも、そこそこ長く生きてきたつもりではあったが、このような人間に会うのは初めてで、ますます興味をかきたてられるのだった。

 


 半壊した城と
FTO を見て、イーグルは絶句した。無理もない。FTOは、かろうじて人型をしていることはわかるがもうぼろぼろで、再び飛び立てるとはとても思えない状態にあった。
 一応クレフやザガートが修復して城の脇にどけておこうとしたのだが、魔神などとは根本的なつくりが違うらしく、できなかった。
 そのため城も修理できないままになっている。それほど急ぐ必要もないからそのままにした、という事情もあるが。

「……すみません。どなたか、怪我をなさった方はいらっしゃいませんでしたか」

 イーグルがすまなさそうな顔をして、心配そうに聞いてきた。

「怪我をした者はいない」

 ランティスが答えると、イーグルは少しほっとしたようだった。
 エメロード姫のいる所に近い場所だったが、それ故に、立ち入る者は限られていたことが幸いした。
 イーグルは、城が壊れたことに対してだけでも責任を感じているようだから、怪我人が出たとなれば、きっともっと心を痛めてしまったことだろう。
 イーグルの安堵した顔を見ながら、怪我人が出なくて本当によかったとランティスは思った。

 イーグルは、FTOを一通り調べると、「時間はかかりそうですが、なんとか修理できそうです」と言って笑った。肝心な部分はかろうじて無事だったとか。

「ゆっくり直していけばいい」

 とランティスが言うと、そうですね、とイーグルは微笑んだ。


 それからイーグルは、城を見学したがったが、彼がまだ疲労から回復していないのを感じたので、それは後日ということにした。
 イーグルは少し残念そうな顔をしたが、納得してくれたようだった。
 思ったほどイーグルを落胆させずにすんだので、ランティスはほっとした。

 先ほど(イーグルと果物を食べた後)用意しておいた部屋にイーグルを案内する。青い空の見える部屋だ。

 イーグルは、最初窓の外に広がる青空に驚いたようだが、やがてこちらを振り向いて満面の笑みを浮かべた。

「ありがとうございます、ランティス」

 輝く笑顔。太陽の光が凝縮したような。

―感謝には及ばない。自分は彼の笑顔が見たかっただけだ。

 それに、そもそもー太陽は空のもとにあるものなのだから。

 

 

 

2007.6.18

 

 

 

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