この青い空の下で(2)

 

 

 その日もよく晴れていた。いつもと同じセフィーロの空。

 今日も普段と変わらぬ穏やかな時間が過ぎていくものと思っていたが、神官ザガートは違う意見だった。

 何かとても大きな力を持った者が来る。

 そう、予知したのだ。

「大きな力とは何だ」

 ランティスは聞いてみるが、返ってきた答えはあやふやなものだった。

「わからない。ただ、その者が、このセフィーロに変化をもたらすと出ている。
 それが良い事か悪い事なのかはわからないが」

 ザガートはそこで一旦言葉を切り、じっとランティスの目を見つめた。

「何かが起こることは確かだ。だが、何が起こるにせよ、エメロード姫に危害が及ぶようなことだけはあってはならぬ。
 お前も親衛隊長として、より一層警備の強化に努めよ」

 ランティスは困惑を隠せなかった。
 ザガートの話はどうも要領を得ない。予知とは得てしてそういうもので、仕方のないことではあるのだが、それだけでは何とも対処のしようがない。

 そもそも、セフィーロの変化とは、柱であるエメロード姫の変化を意味する。
 セフィーロの凶事は、エメロード姫の凶事を。

 しかし、このセフィーロの何人たりともエメロード姫に危害を加えることはできない。
 そして、他国の者も、悪意あれば入国すらできない。

 つまり、エメロード姫が危害を加えられることは絶対にない。
 無論例外もあるが、「例外」は起こればすぐに分かる。今がその時でないのは明白だ。

 しかし、ザガートにこう言われては、何もしないわけにもいかない。
 ランティスは昼寝をするのを諦め、とりあえず、城を見回ることにした。

 ……いい天気だ。絶好の昼寝日和。

 なんとか眠気を振り払い、襲い来る誘惑と戦いつつ城の中を歩いていると、突然、凄まじい轟音と震動を感じた。
 壁に手をつき、体が投げ出されそうになるのをなんとかこらえる。あまりの音に耳がおかしくなりそうだ。

 これは、ただごとではない。

 何かが起きたのだ。兄の予言通り、「大きな力を持った者」がやって来たに違いない。

 ランティスは急いで音の源へと向かった。


 外に出ると、城の一画から薄く煙が立ち上っているのが見えた。
 何かがぶつかったらしい。

 ―大きい。まるで伝説の「魔神」のような……。

 近づくと、より一層その大きさを感じる。魔神とはだいぶ雰囲気が異なるが、その力は魔神に勝るとも劣らない。

 誰か乗っているのだろうか。

 そう思って気配を探ると、強い心の波動を感じた。それも、ただの強さではない。
 セフィーロの中枢にいて、強い心の持ち主に会うことが多かったランティスだが、これほどの強さに匹敵するのは、兄ザガートか柱であるエメロード姫ぐらいしか知らない。

 「柱」に匹敵する心の強さの持ち主。

 ランティスは戦慄を覚えた。

 一体どんな人物なのか。

 ランティスはその魔神もどきに駆け寄ると、その人物の気配を感じる場所までのぼった。
 魔神もどきは半壊しており、おまけにひどく熱かった。

 中の人物は無事だろうか。そういえば、感じる心の強さとは裏腹に、その生命の気配は驚くほど弱い。

 お腹に相当する部分を剣で切り開くと、銀色の頭が見えた。

 破片が突き刺さったのか、あちこちから出血しており、気を失っているようだ。
 とりあえず彼を魔神もどきの外に運び出すと、急いでその場所を離れた。

 ランティスは、そこで初めて彼の顔を見た。

 美しい青年だった。閉じた瞼の奥から、硬く澄み切った力強い気配が伝わってくる。なのにその口元からは、不思議と柔らかさも感じられるのだった。
 それは、誰かよく知っている人物に似ているような気がした。

 それが誰だったかと思い出そうとした時、青年がうっすらと目を開いた。

 金色の瞳。なんと強い輝きを放っているのだろう。
 まるで、太陽のような。

 青年は、まだはっきりと意識が戻っていない様子だったが、視界にランティスの姿を認めると、ひどく嬉しそうに微笑んだ。
 そして、すぐにまた瞳を閉じてしまった。

 意識を失う寸前、青年は何かを呟いたように見えた。
 はっきりとは聞き取れなかったが、それは「青い空」と聞こえた。
 まるで焦がれてやまない宝物にでも出会ったかのように、そう言ったのだ。


 その後意識を失ってしまった青年を、ランティスは慌てて導師クレフのもとへと運び込んだ。
 青年の怪我はひどく、また精神をかなり消耗してもいたようで、導師の魔法を持ってしても治癒には多少の時間がかかった。
 治療が一通り終わり、精神疲労の回復を促進させる治療室に青年を寝かせると、このセフィーロかつてない珍事にどう対処するかの話し合いが行われることになった。

「柱健在なる時に他国からの攻撃を受けるなど、これまでになかったことだ。一体どうしたものか…」

 クレフが重々しい口調で口火をきった。

「攻撃ではないと思う。抵抗も感じなかった」

 ぽつりと呟いたのはランティス。

「確かにこのセフィーロは、エメロード姫の祈りの力に支えられ、悪意を持つ者は入国できない。
 悪意を持った者が入国しようとする時に感じる「抵抗」も感じなかった。エメロード姫にも異変はない」

 無口なランティスの言葉を補足するザガート。

「しかし、青年は気を失っていたのだろう?
 たとえセフィーロに悪意を持つ者であっても、入国時にその意思が……意識がなければ入れるのではないか?」

 そう言って、ザガートは伺うようにクレフを見る。

「わからない。そもそもこのセフィーロを他国から訪れる者自体が多くはないし、意識を失ったまま入国した者となると、その数は非常に少ないものとなるだろう。ましてや、その者達に悪意があったかどうかなど、調べる術もない。
 しかし、いずれにせよ、このような大事件が意図せず起きたとは考えにくいのではないか」

 考えながらクレフは言う。

「しかし、……悪い人間には見えなかった」

 ためらいがちに、しかしはっきりとランティスは言った。
 あの青年の澄んだ美しい瞳が印象に残っている。
 あの瞳を、あの微笑みを見た時わかったのだ。
 彼は、自分が仕えている人と同じ…強く美しい心の持ち主であると。

「確かに、あの青年の発する『気』はとても澄んだものだった。お前と同じように。
 だがランティス、いくらなんでも、他国の兵器が『偶然』このセフィーロの城を直撃するなどということがあると思うか。
 ……警戒するなという方が無理だ」

 クレフはそう言って、ため息をついた。
 自分とて、あの澄んだ気配の持ち主が敵だなどと思いたくはないのだ。だが、実際に起きた出来事を見れば、そう疑わないわけにはいかない。

「私の予知では、あの青年がどのような変化をここにもたらすかはわかりませんでした。
 悪い変化かもしれませんし、いい変化かもしれません。
 しかし、変化は急激なものではないようです。
 エメロード姫も、あの青年が何かに困っているのなら、力になるようおっしゃっている。
 あの兵器には心がないようですし、これ以上の害をもたらすこともないでしょう。
 とにかくしばらくは様子をみてみるべきではないでしょうか。」

 ザガートの意見にクレフも賛同した。

「そうだな。とにかく一度あの者と話をしてみる必要はあるだろう。
 悪意の有無と、事件の原因。
 これらはどうしてもはっきりさせる必要がある。

 ランティス。あの青年のことはお前に任せる。なるべくあの者の側を離れるな」

「はい」

 ランティスは、多少納得のいかないものを感じつつ、とりあえず了承した。


 ランティスは、魔神もどきの調査と並行し、なるべく青年に付き添うようにしたが、青年はなかなか目を覚まさなかった。
 青年が意識を取りもどしたのは、魔神もどきが城に衝突してから三日後のことである。

 その時ランティスは、丁度仮眠をとっていたのだが、青年が目覚める気配を感じて急いで治療室に向かった。
 意識を常に青年に向けていたせいか、それとも青年の強い心ゆえか、それはすぐに感じ取ることができた。おそらく、クレフやザガートも今ごろ青年の目覚めに気付いているだろう。

 治療室の扉を開けると、青年はもうすっかりよくなったらしく、ランティスの姿を見るとにっこりと微笑みかけてきた。

 初めて会った時と同じく、人を惹きつける優しい笑みだった。

 ランティスは青年の無事を確認すると、クレフ達に会わせるべく青年を先導して歩き出した。

 廊下に二人の足音だけが響く。

 ところが中庭にさしかかった時、その片方が急に途絶えた。
 振り返ると、青年はいつの間にか足を止めて中庭を見つめていた。

 いや、見ているのは中庭ではない。

 空だ。

 青年は、青い空に一心に見入っていた。

 いつもと同じ、青い空。しかし青年の瞳には、それはこの世の奇跡として映っていた。

 青い空を映す金色の瞳は、とても美しく、同時にどこかひどく切なかった。まるで空と引き離された太陽のようだとランティスは思った。

 青年は空に見入ったまま、吸い寄せられるようにふらふらと足を踏み出した。そして。

 ……見事に転んだ。

 上ばかり見ていて、下に段差があるのに気付かなかったらしい。

 助け起こすと、青年はすみません、ありがとうございますと、さっきと同じ笑顔で言った。
 そしてランティスの顔を見上げた青年は、目があった途端、何故か一瞬驚きの表情を浮かべた。空を見ていた時の光が瞳に灯る。
 しかし青年はすぐにそれを打ち消して、またふんわりと微笑んだ。

「すみません。つい、この青い空に見とれてしまって。
 あなたも、この空と同じ瞳をしているんですね。
 とても綺麗な、青い瞳です」

 反応に困っているランティスを見て、青年はまたすみません、と謝った。

「ところで、ここはどこなのでしょうか?まさか……」

 まだどこか夢見心地という様子でいながら、期待を抑え切れぬ調子で青年は問いかけてきた。

「セフィーロの城だ」

「セフィーロ!?まさか……いや、でも……」

 ランティスの答えに、青年はひどく驚いた様子だった。

 ここがセフィーロだと知らなかったのか。知らずにやって来たのか。
 本当はどこに行くつもりだったのか。

「……知らなかったのか」

「ええ。あなたの格好やこの空を見た時、もしやとは思いましたが。
 しかし、状況から考えて、今僕がセフィーロにいるはずがないんです。
 それで驚いてしまって。
 でも、もしここが本当にセフィーロなのだとしたら……嬉しいです。……とても。
 ずっと、セフィーロに行ってみたいと思っていましたから」

 ゆっくりと、かみしめるように青年は言った。

 憧れと切なさの入り交じった言葉の響き。

 その奥にあるものを知ることはできないけれど、それは強くランティスの胸に残った。

 青年がにこりと笑うと、彼を包む雰囲気が変わる。
 だが、その底にあるのはこの想いなのだと、ランティスはわかったような気がした。

「そういえば、どこかへ行く途中みたいでしたけれど、どこへ行くんですか?」

「導師クレフと神官ザガートのところだ。お前に会いたがっている」

「そうでしたか。あまりお待たせしてしまってはいけませんね。
 時間を取らせてしまってすみませんでした。
 それでは、行きましょうか……戦士さん」

「……ランティスだ」

「僕はイーグル・ビジョン。イーグルと呼んで下さい」

 そう言って異国の青年―イーグルは手を差し出した。

 初めて会うはずなのに、遠い昔から彼のことを知っているような、不思議な気がした。

 

 

 

2007.6.7

 

 

 

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