闇と栄光

 

第五章 ククール

 

 

 ククールは、今でも覚えている。初めて修道院にやって来た日のことを。

 

「…君 はじめて見る顔だね。

 新しい修道士見習いかい?ひとりでここまで来たの?」

 

 両親が亡くなって。

 この世界で、たった一人きり。

 不安でいっぱいだった時に、優しく声をかけてくれたのが、マルチェロだった。

 

「ここならオディロ院長やみんなが家族になってくれる。大丈夫だよ」

 

…この人が、家族に……?

 

とても、優しそうな人。

とても、頼りになりそうな人。

 

この人が、いるなら。

……なら。

大丈夫。きっと、うまくやっていける。

初めて、そう思えた。

 

でも。

 

「そうか君… お前がククールなのか。

 …出て行け。

 出て行けよ。お前は…お前なんか 今すぐここから出ていけ!

 ………。

 ……お前はこの場所まで僕から奪う気なのか?」

 

 名乗った途端、彼は…突然、態度が変わった。

 

 冷たい目。底なしに。

 

 …何が何だか、わからなかった。

 自分は今何か、彼を怒らせることを言ったのだろうか?

 わからない……。

 

 ただー優しい声と冷たい声、その両方がいつまでも耳の奥に残った。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 後で、その少年がマルチェロという名前だったことを知った。

 勉強熱心で将来有望な騎士見習い。

 公平で、誰にでも優しく、上にも下にも人望に篤い。

 決して理由無く怒るような人ではない……。

 してみると、やはり自分は何か、とても悪い事を彼にしてしまったのだろうか。

 

 もう一度、彼に会いたいと思った。

 会って、この前自分がどんな悪いことをしたのかと聞いてみたかった。

 初めて優しく声をかけてくれた人に、嫌われたくはなかった。

 

 そんな時、ククールは、中庭であのマルチェロの姿を見かけた。

 マルチェロは、子供達に囲まれて、剣を教えているところだった。

 一人一人丁寧に教え、怪我をした子供には、回復呪文をかけてやっている。

 その優しい笑顔を見ているうちに、この間のことは夢ではなかったのかとククールは思い始めた。

 あの笑顔が、あんなに冷たく変わるわけがない。

 ……自分は何かの思い違いをしているのだろう、と。

 そして、自分もあの輪の中に加わりたいと思った。

 マルチェロのあの笑顔を、自分にも向けてほしかった。

 

 知らず知らずククールはその輪に近づき、思い切って声をかけていた。

「マルチェロさん」

振り向いたマルチェロは、笑顔だった。

たしかに、その時は笑顔だったのだ。

でも。

それが一瞬で変わった。

「―出て行けと、言ったはずだぞ」

 

 それきりマルチェロは、ククールのことなど眼中にないとでもいうかのように、背を向けた。

 追いすがろうとしたが、マルチェロは、もはや彼のことなど一顧だにしなかった。

 

 マルチェロは、ククールにだけ、明らかに態度が違う。

 ……そう、確信せざるをえなかった。

 

 理由は、わからない。

 でも…それでもなお、確かなのは、ククールはそれでもマルチェロを好いているということ。

 それから幾度と無く冷たいあしらいを受けたが、それは変わらなかった。

 

 初めてここに来たときに、優しく声をかけてくれた時のことが、忘れられない。

 

 それに、幼い少年にとって、剣術にも学問にも優れたマルチェロは、容易に憧れの対象となった。

 マルチェロは、少年達の中では一番の物知りだったし、剣の試合で年上の騎士を負かすのも、何度も見た。

 …あんなふうになりたいと、そう思わせる存在。

 

 そのマルチェロに疎まれているという事実は、ククールにとってはつらいものだった。

 あれ以来、マルチェロはククールをことさらに無視し、こちらを見ようともしない。

 …なんとかしたい。なんとか、マルチェロに自分を見てほしい。

 そこで、ふとククールは考えた。

 これまで自分が武術なり学問なりで、特に成果を出したとき、皆の注目を集め、大勢の人に誉められた。だから、この修道院でも、自分が何かで高い成績をあげれば、マルチェロも自分を見てくれるのではないか、と。

 

 そう思い立ったククールは、今までにないほど熱心に勉学や武術に打ち込み始めた。

 実はそれでもマルチェロの努力には及んではいなかったのであるが、素質があったのか、ククールは、あらゆる面で、みるみる上達した。

 

 そして、定期的に行われる弓の練習会の日。

 ついに、ククールの放った弓は、全て的の中心部に命中した。

 

 中庭のあちこちから感嘆の声があがり、たちまちククールは大勢の人に囲まれた。

 だが、その時ククールの頭にあったのは、マルチェロのことだけ。

 興奮を抑えきれないまま、期待を込めてマルチェロの方を見やると、目があった。

 ……一瞬、息が止まる。

 マルチェロは、これまでにないほど憎々しげな目をしてこちらを見ていた。

 その、ぞっとする冷たさ。

 ククールが見ていることに気づくと、マルチェロは黙ってその場を立ち去った。

 喜びも何もかもすっかりしぼんでしまったククールを残して。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 夢を見た。

 これは確か、マルチェロが騎士になったばかりの…つい最近の夢だ。

 オディロ院長が祝福してくださっている。

 誇らしげな微笑が自分に浮かんでいるのがわかる。

 でも。

 ふと気づくと、自分は皆の輪から遠いところにいる。

 そして、さっきまでマルチェロのいたところに立っているのは…

 ……ククール。

 思わず近寄ろうとするが、近寄れない。

 どんなに足を動かしても、なぜか遠ざかるばかりで。

 そんなマルチェロを見て、あざ笑う人々。

 それに気づき、ククールがこちらを見た。

 目には勝利の色。

 口元には嘲笑。

 笑っている。

 笑っている。

 笑っている……!!

 

 

 ククールの存在は、マルチェロにとって悪夢そのもの。

 悪夢にのまれぬよう、マルチェロは自分自身が悪夢になる…。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 いくら努力しても、マルチェロはククールに冷たいままで、改善策はない。そろそろ教会というものの暗部に気づきはじめたこともあり、ククールは、次第に修道院にいることが苦痛になりはじめた。

 そして、時々こっそり修道院を抜け出して、ドニの町へ遊びに行くようになった。

 ドニには、両親が生きていた頃から時々遊びに行っていたため、同年代の子供こそいなかったものの、知り合いのおじさんおばさんが多く、皆ククールに親切にしてくれた。

 ククールにとっては遙かに居心地のいい場所だった。

 あまりほめられたことでないとは思っていたが、自然とドニで過ごす時間は長くなり……そして、ある日、知ってしまった。

 何故マルチェロが、ああも自分を憎んでいるのか……を。

 

 …知らなかった。

 自分に兄がいて、それがあのマルチェロだったなんて。

 …知らなかった。

 父がー人間的に多少問題はあるものの、優しくしてくれたあの父が、マルチェロにそんなひどい事をしていたなんて。

 

 マルチェロがククールを憎むのは、至極当然。

 …当然、だったのだ。

 

 受け入れなければ。

 …受け入れるしか、ない。

 でも……!!

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 事の真相を知って以来、ククールは、むしろ積極的に規則を破るようになった。

 出世街道まっしぐらのマルチェロを尻目に、ドニの町へ出かけ、毎日を、ただ楽しく過ごす。

 何一つ、称賛されるべきことはせず、非難を一身に浴びながら。

 富も名声も、称賛も信頼も、全てマルチェロのもの。

 自分は、ただこの一時の快楽を味わえればいい。

 

 兄貴のほしいものは、みんなやる。

 俺はできそこないでいい。

 だから……いつか。

 いつかまた、戻ってくれ。

 ……あの頃の、あんたに。

 

 

 

2005.10.11

 

 

 

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