闇と栄光

 

第三章 清濁

 

 

 こうして、様々な経緯を経て、マルチェロはマイエラ修道院に受け入れられた。

 そこでは、周りの誰も、マルチェロを後継だの不貞の子だのと言って区別しようとしたりせず、マルチェロは、生まれて初めて、「普通の子供」として、子供達の輪に入り、一緒に遊ぶことができた。

 頭が良くて頼りになり、その上面倒見もいいマルチェロは、たちまち少年達のリーダー的存在になり、年長者からも一目置かれる存在になった。

 領主のせいで、ここまで来るのに随分回り道をさせられたが、そこは確かに、マルチェロの本来いるべき場所だった。

 そう、思えた。

 剣術や勉学に励むのは、領主の館にいた時と同じだったが、その時と違うのは、ここでは誰もが同じ立場だったこと。そして、成果の如何に拘わらず、オディロ院長が子供達を受け入れてくれたことだった。

 思えば、領主の館にいた頃は、常に優れた成績をあげることを要求され、それができなければ価値のないものとみなされるのだというプレッシャーが常にあった。

 ……あの、男は。

 自身はたいした人間でもないくせに、それを高みからマルチェロに押しつけたのだ。そして、捨てた。マルチェロには、何の非もなかったというのに。

 だが、オディロ院長は違った。どんなに成績の悪い子供にも、等しく愛を注ぎ、受け入れたのだ。

 ……あの男とは、まるで違う。何から何まで。

 マルチェロは、そんなオディロ院長に心からの敬愛の念を抱いた。

 オディロ院長の役に立ちたかった。

 だから、これまでよりも一層、勉学に、剣術に励んだ。

 修道院の生活は貧しくて、自由時間も少なかったが、マルチェロは、これまでになく、落ち着いた日々を過ごしていた。

 

 ただ、そこで長く過ごすにつれて、不満な点も出てくる。

 たとえば、修道士達の規律。

 神に仕える者は、飲酒などの娯楽が禁じられているはずなのに、こっそりとドニの酒場まで赴き、酒を嗜む者がかないいる。

 オディロ院長も、薄々気づいてはいるようだが、優しい方なので、大目に見ているようだ。

 彼らを叱るべき聖堂騎士団の団長も、院長ほどではないものの、規律に甘いところがある。

 神のおそばにあって、身も心も清くしていなければならぬはずの修道士や騎士団員達が、規則を平気で犯す様は、マルチェロには許し難いものに思えた。

 そして、それよりもさらに耐え難かったのは、修道院を訪れる貴族や金持ち連中だった。

 彼らは皆、どこかあの男に似ていた。

 父と呼ぶのもおぞましい、あの男に。

 自身には何一つ優れたところがないくせに、一般人や修道士、そしてマルチェロら騎士見習いを見下し、驕り高ぶる。

 そして高慢にも、オディロ院長を呼びつけさえする。

 本来なら、オディロ院長が視野に入れるも値せぬ、げすな輩が。

 賭けてもいい。彼らは、オディロ院長の言葉を半分も理解してはいまい。ただ、他の人間に、自分はオディロ院長が無理を押してまで会ってもらえるだけの価値のある人間なのだと自慢したいだけなのだ。

 そして、それにまた、媚びへつらう連中の多いことー。

 

 それはマルチェロをひどく苛立たせた。このような輩の存在することが、我慢ならなかった。

 あのような輩は、この世から全て消え去るべきなのだ。

 院長が彼らを断罪してくれればどんなにいいかと思う。

 オディロ院長のような素晴らしい方が、あんな連中にわざわざ会ってやることはないのだ。

 オディロ院長はお忙しい方。本来なら、神に仕えぬ者にまで、自らの時間を割く余裕はないはずなのに。

 しかし、オディロ院長は望まれれば誰にでも会い、話を聞かせてやった。とても院長の話を理解できるとは思えぬ輩にさえ。

 ……院長は甘すぎる。

 このごろ、よくそう思う。

 直接そう言ったこともあるが、院長は笑うばかりで、求める者には与えよ、とそうおっしゃる。

 でも。

 ―豚に真珠をくれてやることはない。

 それが、マルチェロの本心だった。

 そしてそれだけが、オディロ院長に対する唯一の不満だった。

 

 マルチェロが、そんな思いを抱き始めた頃。

 修道院の経済事情はいよいよ苦しくなり、オディロ院長さえも、苦しい生活を強いられるようになっていた。

 マルチェロは、なんとかオディロ院長の力になりたかったが、未だ騎士見習いになったばかりの無力な身の上では、どうすることもできなかった。

 マルチェロは知っていた。

 修道士達が、生活が苦しい苦しいといいながらも、こっそりとドニの町へ遊びに行っていることを。

 皆の手本たる聖堂騎士団員達も、それを知りながら黙認し、時には自らそれに加わりさえすることを。

 そして、オディロ院長を補佐すべき聖堂騎士団長が、修道院の財産に秘かに手をつけ、私腹を肥やしていることを。

 マルチェロは、そんな彼らが許せなかった。

 彼らは、あの素晴らしいオディロ院長を裏切っている……!!

 もっと厳重に取り締まり、罰してやるべきだと思ったが、一介の騎士見習いにはそんな力はない。たとえ、オディロ院長に直接訴えたところで……。

 そこまで考えたところでいつも、マルチェロはため息をつく。

 オディロ院長は、……甘いのだ。

 

 そんなある日、いよいよ厳しくなってきた修道院の財政を少しでも立て直すべく、修道院の者達は、町や村、そして有力者のもとへ寄付を募りに行く事になった。もちろん、マルチェロもその中にいて、マイエラ地方の貴族のもとをいくつか訪れることになっていた。

 寄付集めに行くのは初めてだったが、こうした場合、大抵二束三文で追い払われると聞いていた。

 そこでマルチェロは、高額の寄付を得る方法を、色々と考えた。

 寄付を募る際には、慈悲と良心に期待するというが、彼らがそんなものを持ち合わせていようはずがない。そんなものをあてにするのは間違っている。彼らが寄付をするのは、自らの虚栄心を満たすためだけ。

 ……それならば。

 もっと、それにふさわしい方法を採ればいい。

 

 

 

「聖堂騎士団員見習い、マルチェロと申します。

 いつも、我がマイエラ修道院がお世話になっております」

 マルチェロが丁重に挨拶すると、その貴族は鷹揚に頷いた。

「今日は、あなた様に耳寄りな話を持って参りました」

 わずかに声を低くするマルチェロ。

「……ほう?」

 自分の利益になることは逃さない、とばかりにこちらも声を低める貴族。

 マルチェロは、心の中でニヤリとほくそ笑むと、懐から徐に数枚の札を取り出した。

 貴族の前に並べてみせる。

「免罪符、と申します」

「免罪符?」

「罪が許されたという証です。

 人は必ず大なり小なり罪を背負うもの。しかし、これを持てば罪は許され、死後には安らかな天の国が約束されるでしょう。

 神がわが修道院に、その証を与える役目をお与えになりました」

 人は誰しもいつかは死ぬもの、まして人生も半ば以降にさしかかり、不摂生のためいくつかの持病を抱えている貴族にとって、死後の行く末が気にならぬわけがない。

 はたして彼は、この話に乗ってきた。

「ほう…?

 では、その免罪符とやらを持てば、わしのこれまでの罪は皆許されるのか?

 死んだ後天国に行けるのか?」

「左様です」

 

 ふん、なんと見苦しい……。

 マルチェロは、心の中で嘲笑した。

 数え切れぬほどの悪徳に染まりながら、それでも天国に行くつもりか。

 豚に真珠をくれてやることはない。

 豚は、その肉を人に与えるためだけに存在するのだ……。

 

「もちろん、誰にでもお譲りできるものではございません。

 ですが、あなた様には特別にお世話になっておりますし、その功徳はよく存じております。

 あなた様が心から罪を悔い、天の国へ行きたいと望むならば、それはきっと受け入れられましょう。

 そこで、その懺悔の証として、わが修道院にご寄付を。

 さすれば、この免罪符を差し上げましょう」

 相手の自尊心をくすぐるように、囁きかける。

 自分だけが、特別に。

 自分だけが、救われる価値のある人物。

 こうした言葉は、腐った連中の心に、実によく響く…。

 

「なるほど…それで、わしはどれほど誠意の証を見せればよいのだ?」

 貴族の心は既に傾きかけているが、やはり出費には慎重である。

「そうですね……これまでの罪を全て清算なさるおつもりなら……8万G、と言いたいところですが、あなた様の功徳の高さを考えますと、3万Gもあれば十分に罪を清算し天の国へ行けるでしょう」

 最初に大きく出ることで、本質を見えにくくする。

 この優れた交渉術は、天性のものだろうか。

「ふむ、そうか……。

 わしはこれまで特に悪事を為した覚えはないが、それでも人間、いつどこで罪を犯しているやもしれんからな。

 その程度の額で免罪されるなら、安いものよ。すぐに準備しよう」

「流石、ご立派です」

 内心の嘲笑を押し隠し、表面だけは恭しくマルチェロは頭を下げた。

 

 こうしてマルチェロは、3万Gを持ち帰り、これにより修道院の経済事情はだいぶ救われた。

 これは、驚嘆すべき事柄であった。

 通常、修道士や騎士達が寄付金集めに奔走しても、1000Gを超える寄付が集まることは滅多にない。現に今回も、各人が集めたのはせいぜい100G前後で、マルチェロほど多額の寄付金を得て帰ってきた者はいなかった。マルチェロの3万Gは破格だった。

 免罪符というもの自体はマルチェロが修道院に入る前からあり、彼が考案したものではないが、その存在はさほど広く知られてはおらず、あまり活用されてこなかった。それをマルチェロは、実に効果的に利用してみせたのだ。

 皆は非常に感心し、その手腕を褒め称えた。

 その時、マルチェロは、自分がこのマイエラ修道院にとってなくてはならない人物だとー必要とされる人物だと、初めて確信することができた。

 それはとても幸福な瞬間だった。

 

 

 なぜか心の片隅に、わずかな失望めいたものがよぎったけれど。

 ―一体何に失望するというのか?
  皆がこれほど自分を称賛しているというのに。

 それはすぐに、かき消された。

 

 

 そこは確かにマルチェロのいるべき場所だと思えた。

 そう。

 自分の手でつかみ取った、この場所。

 

 

 風の噂で、マイエラ領主が流行病で亡くなったと聞いた。

 マイエラ夫人も。館の者達も。

 叔母も。

 

 もう、マルチェロを脅かす者はいない。

 マルチェロは、ようやく自らの居場所を得て、安らかな日々を送っていた。

 

 

 そんなある日。

 マルチェロは、修道院の中庭を、見慣れない子供が歩いているのを見かけた。

 そのひどく不安げな、心細そうな様子は、マルチェロが初めてこの修道院に来たときのことを思い起こさせた。

「…君 はじめて見る顔だね」

 新しい家族となるであろうこの子供の不安を、少しでも取り除いてやりたいと思った。

 自分がここに来たとき、どれほど心細かったのか知っているから。

「…院長の所に案内する。ごめん ほら 泣かないで。

 君 名前は?」

 少年は顔を上げ、笑顔と共にその名を口にした。

「……ククール」

 

 

 

2005.9.28

 

 

 

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