闇と栄光

 

第二章 彷徨

 

 

 屋敷を追い出されたマルチェロ親子は、母親の親戚の家に身を寄せることになった。しかし、そこへ向かう道のりは、楽なものではなかった。

 

―不貞の子

―汚らわしい。

―あんたらを泊める家なんてどこにもないよ!

 

 行く先々で浴びせられる罵声の数々。

 冷たい目。

 ひそひそと交わされる悪意に満ちた声、声、声。

 

 つい昨日まで、マルチェロを若様と呼んで敬っていた連中。

 それが、掌を返したように冷たくなった。

 

 …そう。

 ククールが、生まれたから。

 

 それまで、自分は「大切な息子」だったのだ。

 優秀な跡取りとして、皆に期待されていた。

 それが、ククールが生まれたことで、自分は「不貞の子」になった。

 それまで自分が手に入れてきた栄誉も何もかも、全てが失われた。

 

 今、マルチェロは、これまで味わったことのない苦境の中にいる。

 

 彼ら親子を助けてくれる者はどこにもなく、お金もなかったので、村で休息をとることもできなかった。

 ただひたすら、目的の場所まで歩き続けるしかなかった。

 それは、人に会う事のない淋しい道のりだったが、それでも、人のいる村よりはましだった。

 ―人のいる場所は、悪意のたまり場でもあったから。

 

 これほどの空腹を、疲れを、感じたことがあっただろうか。

 これほどみじめな思いをしたことがあるだろうか。

 

 これも全ては、ククールが生まれたせい。

 そして、あの男のせい。

 これまで自分が父と呼んでいた男。

 ―父などでは、ない……。

 あんな男が、父などではあるものか……!!

 あの男は、何と言った?

 マルチェロのことを、跡取りだと言っていたのではなかったのか。

 そして、跡取りにふさわしい態度をとるよう強要した。

 だからマルチェロは、皆のように遊ぶこともせず、学問に励んできたのだ。

 

 その結果が、これなのか……!!

 今まで自分が必死で努力して勝ち得てきたものは、赤子の存在一つで失われるような、そんな脆いものだったのだ。

 

 ククール………。

 アイツサエ、ウマレナケレバ……!!!

 

 屋敷を追い出された時からずっと、マルチェロの胸の奥で、何かが燃えたぎっていた。

 それは非常に大きな熱の塊であるのに、一向に外へ出て行く気配を見せず、マルチェロの心を炙るため、その熱に、マルチェロはより一層苦しめられるのだった。

 

 僕が一体、何をしたというのだ……?
 何故、こんな苦しみを受けねばならぬ?

 

 何度マルチェロは、そう天に問うただろう。だが、その声にこたえる者はなかった。

 

 唯一母親だけが、マルチェロを気遣ってくれたが、むしろ助けが必要なのは彼女の方だと子供心にも思われるほど、彼女は憔悴していた。

 

 ―もう少しの辛抱だ。

 叔母の家に着けば、母様もきっと元気になる。

 そして。

 

 この胸の奥で煮えたぎる苦しみからも、解放される……!!

 

 その期待だけを胸に、親子は辛い道のりを歩き続けた。

 何日もかけて、マルチェロ親子は、ようやく叔母の家に辿り着いた。

 だが、それで終わりではなかった。

 叔母は、マルチェロを一目見て、言った。

 

「―汚らわしい」

 

 その、冷たい目。

 道中、ずっと浴びせられてきたもの。

 ……目的地に着いても、何も変わらなかった。

 

 辛い旅の後に待っていたものは、辛い生活だった。

 マルチェロはまだ8歳だったが、きつい仕事をさせられ、これといった理由もないのに、ことあるごとに叱られた。

 屋敷にいた使用人でさえ、ここまでひどい扱いは受けていなかったのではないかと思われた。

 近所の子供達も、マルチェロを馬鹿にし、軽蔑した目で見た。

 それがアンジェロを思い出させて腹が立ったが、母のために耐えた。何か問題を起こせば、非がどちらにあろうと、母が叱られることがわかっていたからだ。

 

 …そんな日々が、2ヶ月ほど続いた頃。

 マルチェロの母は、熱を出して倒れた。

 屋敷を追い出されたショックに加え、今の生活は、もともとあまり身体の丈夫でない母には過酷すぎたのだ。

 熱を出してからは衰弱する一方で、一向に回復の兆しは見えなかった。

 

「助けて、下さい」

 

 マルチェロは、周囲の大人達に助けを求めたが、誰も手を貸してくれる者はなかった。それどころか、うつる病気だといけないからと、母は納屋に押し込められ、満足な手当ても受けさせてはもらえなかった。

 非力なマルチェロには、どうすることもできなかった。

 

「助けて、下さい」

 

 だからマルチェロは、天に祈った。

 救いを求めて。

 これ以上ないほどの真摯さでもって。

 ただひたすらに、祈り続けた。

 

 だが、その祈りは、天に届かなかった。

 二人が納屋にうつされてから、約二週間後。

 マルチェロの見ている前で、母親は、静かに息を引き取った……。

 

 

 …何故だ?

 ……何故。

 何故、天は、この祈りを聞き届けて下さらぬのか。

 

 教えてくれ。

 何故、自分はこれほどまでに苦しめられなければならぬのか。

 

「誰か…誰か!!」

 

 思わず叫んだとき、ふとオデイロ院長の顔が浮かんだ。

 かつて一度だけ会ったマイエラ修道院の院長様。

 「困った事があったら、いつでも修道院に来なさい」と言ってくれた、優しそうな顔。

 

 院長様なら、教えてくれる気がした。

 なぜ、こんなことになったのか。

 そして、これからどうすればいいのかを。

 

 

 葬儀の後、マルチェロは、一人マイエラ修道院に向かった。

 もう、マルチェロには、そこしか行く所がなかったのだ。

 

 この広い世界で、マルチェロはただ一人。

 周りは皆敵意を持つ者ばかりで、守ってくれる者は誰もいない。

 どうしようもなく心細かった。

 どうしようもなく苦しかった。

 

 何かすがれるものが欲しかった。

 だからマルチェロは、昼も夜もろくに休まずに、ただひたすら歩いた。

 オディロ院長のいる、マイエラ修道院へ。

 

 そしてようやく辿り着いた修道院は、ひどく恐ろしいところに感じられた。

 そこは暗く冷たく、あちこちに不気味な像がたっており、今にも動き出しそうに見えた。

(―院長様、どこだろう……?)

 恐る恐る歩いて行くが、マルチェロに目をとめる者はいない。

 それに通り過ぎる大人達は、皆この恐ろしい修道院の一部のようで、とても気軽に声をかけられるような雰囲気ではなかった。

 マルチェロは、これまでと同じように一人で彷徨っていた。

 

 しかし、しばらく歩き回っていると。川の向こうの小島に離れの建物があるのが見つかった。

(―あそこに院長様がいるかもしれない。)

 そう思い、マルチェロは、おそるおそる扉を叩いた。

 すると、すぐに扉は開いた。

「おや?そなたは……。」

 顔を出したのは、まぎれもなくあの時に会ったオディロ院長。

 その温かな眼差しは、少しも、変わっていない。

「一人で、来たのかね?」

 やっとの思いで頷くマルチェロ。声が、出ない。

「そうかそうか。ここまで来るのは大変じゃったろう。そなたは本当に、偉いのう…」

 全てを包み込んでくれるような、優しい声。

 温かな掌がマルチェロの髪をくしゃりと撫でた時、マルチェロの中で何かが弾けた。

 それは見る間に溢れだし、両の目から涙となってこぼれ落ちた。

 それは次から次へとわき出して、とどまるところを知らない。

(みっともない……人前で泣いちゃ、いけないのに……!!
 それも、院長様の前で、こんな……。)

 なんとか泣きやもうとするが、一度溢れだした涙は止まらない。

 そんなマルチェロを見て、オディロは優しく微笑むと、背中を撫でてくれた。

 涙と共に、ずっと胸の奥を灼き続けていたものが鎮められ、洗い流されていくような気がした……。

 

「ここが今日からお前の家になるのだよ。

 ここにいる者は、みなお前の家族。さあおいで。マルチェロよ。

 皆に紹介しよう」

 

 

2005.9.18

 

 

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