闇と栄光

 

第十二章 聖地崩壊

 

 

 

 ―ついに、この日が来た。

 

 マルチェロは、聖地ゴルドの女神像を見上げ、ほくそ笑んだ。

 法皇殺害の真相は伏せられたまま、まだ完全に喪が明けぬ内の法皇就任式。

 もう少し間を空けるべきだとの声も多かったが、マルチェロは、少しでも至高の座を確かなものにしたかった。

 それに、今、最高の座にあるのはこの自分……。

 もう、誰の命令に従う必要もない。

 そう思うと、ますます他の声に従い法皇就任を遅らせる気にはなれなかった。

 

 そして、今。

 マルチェロは、この場所にいる。

 

 ―世界の中心、聖地ゴルド。

 代々の法皇就任式が行われる、尊き地。

 かつては足を踏み入れることも許されなかった、この聖なる神殿。

 ―その、最も高き所に。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 ―ついに、この日が来た。

 

 ククールは、聖地ゴルドの女神像を見上げ、表情を引き締めた。

 ニノ大司教の犠牲の上に、煉獄島を脱出してから、様々な噂を聞いた。

 マルチェロが暗黒神ラプソーンに身体を乗っ取られているのは、恐らく間違いないだろう。

 マルチェロは、暗黒神に支配され、法皇を殺害し……。

 

 そして今、自分とマルチェロは、共にこの場所にいる。

 ―世界の中心、聖地ゴルド。

 女神像の見守る、聖なる地。

 ここでマルチェロは、今しも世界の頂点に立とうとしている。

 

 それは、絶望の象徴。

 

 だが、自分は。

 もう。

 それを、見上げたりはしない……。

 夜の縁から、ただ闇を見たりは。

 

 そして、道を切り開く。

 

 たとえそれが、兄との別離の道になろうとも。

 

 ―もう二度と、立ち止まりはしない。

 

 

 

かつて一度だけ、二本の道が交差した。

それは一方に希望を

他方に絶望をもたらした。

そしてその道は分かたれ

ついには互いを見る事すらかなわなくなった。

だが。

今再び、両者は同じ場所に立つー。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 女神像の前の広場を、人々が埋め尽くしている。

 今日は、記念すべき日だ。

 古き世界が破壊され、新たな世界が誕生する日。

 彼らは、歴史の目撃者となろう。

 

 ―先ほど、ククールの姿を見かけたという報告があった。

 悪運だけは強い奴。

 煉獄島に送ったぐらいでは死ななかったらしい。

 しかし、考えようによっては丁度良い。

 格好の見せしめ材料になる。

 故に、奴が来たら追い出したりせず広場に入れるよう命じておいた。

 どうせ、奴の目的はこの私なのだろうからな……。

 

 法皇の地位と、ククールの命。

 長年欲していたものを、今日というこの日に、同時に手に入れることができるのだ。

 …最高の気分だよ。

 

 マルチェロは、ニヤリと笑い、壇上に登っていった。

 大勢の人々が、歓呼の声で出迎える。

 ―なんと、愚かなことだろう。

  これからどうなるのかも知らずに。

 

 マルチェロは、憐れみをこめて彼らを見つめた。

 かつては自分よりも高い場所に君臨していた彼ら。

 しかし、今。

 見下ろすのは、私の方だ。

 なんと小さかったのだろう……!!

 

「…ご列席の諸侯もご存知の通り、亡くなられた前法皇は、あまたの祈りと涙とに見送られ…安らかに天に召された」

 まずは、型どおりの悔やみを述べてから、本題に入る。

「しかし。

 …私は次の法皇に即位する気はない。

 いや 正確に言おう。これまでのような法皇として、飾り物にされる気はないのだ」

 驚きと戸惑いを見せる観衆。

 それがマルチェロには心地よい。

「王とは何だ?

 ただ王家に生まれついた。

 それだけの理由で わがまま放題かしずかれ暮らす王とは?」

 話すうち、次第に興奮してくるマルチェロ。

「ただの兵士には、王のように振舞う事は許されぬ。

 たとえその兵が王の器を持っておろうとも、生まれついた身分からは逃れられぬ。」

 ―無能な奴らが自分より高みでふんぞり返っているのを、ただ眺めることしかできなかった日々。

「…そう 私もだ。

 不貞の子として生まれ、家を追われた身分いやしき者は、法皇にふさわしくない。

 教会の誰もがそう言った。

 良家に生まれた無能な僧どもにしか、法皇の冠は与えられぬのだと。

 いと徳高き尊き前法皇。だが奴が何をしてくれた?

 世の無情を嘆き祈る。それだけだ。

 神も王も法皇も、みな当然のように民の上へ君臨し、何一つ役には立たぬ」

 これまでたまっていた鬱憤を晴らすかのように、ぶちまける。

 ―ずっと言いたくて、でも言えなかったこと。

「…だが 私は違う。

 尊き血など、私にはひとしずくたりとも流れてはいない。

 そんなものに意味なぞない。

 だが 私はここにいる。

 自らの手で、この場所に立つ権利をつかみ取ったのだ!」

 気分が高揚する。

 これまでの苦労の全てが美酒の一滴一滴となり、マルチェロを酔わせるのだ。

 彼にしか味わえない、極上の美酒。

「我に従え!

 無能な王を玉座から追い払い、今こそ新しい王を選ぶべき時!!」

 そのために、ずっと準備をしてきた。

 金をため、よく走る馬や強力な武器を買い、身分を問わず、実力のある、この私にだけ忠実な騎士達を集め……。

「…さあ。

 選ぶがいい。我に従うか、さもなくば…

 …そこにいる侵入者のように殺されるかだ!」

 いきなり視線を受け、戸惑うククール。

 

 さあ…我が野望の第一歩を、その汚らわしい血で飾るがいい…!!

 

 しかし。

 完全に包囲したと思ったのに、奴はなんと、不思議な力で空を飛び、私のいるこの壇上に降り立ったではないか。

 

「…これは これは。

 …いいだろう。どうあっても私の前に立ち塞がると言うのならば。

 手始めに、貴様にこの手で引導を渡してやろう!」

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「あんた……マルチェロ……か……?」

 

 ククールは、恐る恐る、そう問いかけた。

 目の前の人物は、外見こそマルチェロだが、中身は暗黒神ラプソーン……そのはずだった。

 だが。

 今、目の前にいるこの人物は、あまりにも、マルチェロそのものだった。

 その仕草、雰囲気、そして話の内容まで。

 全て、マルチェロそのもの。

 

 マルチェロの演説を聞いていた時から気になっていた。

 しかし、確認するのは恐ろしかった。

 ラプソーンがマルチェロのふりをしている、というだけならいい。

 だが、もし。

 この一連の行動が、マルチェロ本人の意思によるものだとしたら。

 

 マルチェロ……!!

 

 だが、そんなククールの想いをあざ笑うかのように、マルチェロは平然と頷いた。

「おや。野良犬となって、ついにかつての飼い主の顔も忘れたか?

 ……ああ、それともこの杖のことを言っているのかな?

 …この私が、どこの馬とも知れぬ輩に、やすやすとこの肉体、明け渡すはずがなかろう」

 

 …やはり。

 彼は、マルチェロそのひとなのだ。

 でも。…だとしたら。

「…じゃあ、まさか…法皇様を殺害したのも、あんたか?」

 知らず、声が震える。

 

 マルチェロは、これには答えず、ただ、ニヤリと笑んだ。

 だが、ククールにはそれで十分だった。

 

 マルチェロは。

 ククールがずっと会いたいと願い続けていた、あの日のマルチェロは。

 もう手の届かない、遠い所へ行ってしまったのだ……!!

 

 いや。

 これで、全てが終わったわけではない。

 

 たとえ、どうなっても、マルチェロが自分の兄であることには変わりない。

 だから。

 彼は、なんとしても、自分が止めてみせる……!!

 

 ククールは、ゆっくりと剣を抜いた。

 マルチェロも、また。

 

 

 世界の中心、聖地ゴルド。

 その最も高き所で。

 今、2つの魂がぶつかりあう。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 互いの剣がぶつかる。

 一合。二合。三合。

 

 凄まじい剣戟の応酬。

 

 ……やはり、強い。

 

 今まで一度もマルチェロと真剣に戦ったことはなかった。

 修道院で、自分は強くなってはいけなかったのだ。

 だから、いつも手を抜いて挑み、進んで負けを引き受けた。

 だが。

 今回は、そうはいかない。

 自分は、なんとしても勝たねばならないのだ。

 

 ククールは、一つ息をついて間合いをとり、バギクロスを放った。

 すると、あちらもすかさずかまいたちを、そして間をおかずにメラゾーマまで、たて続けに放ってきた。

 ククールはかなりのダメージを受けたが、マルチェロは余裕の表情で、息一つ乱していない。

 

 本当に、強い……!!

 

 後ろで心配そうに見ていた仲間達が駆け寄ってきて、ディーノがすかさずベホマをかけてくれる。

「大丈夫?まだやれる?」

 皆には無理を言って、マルチェロにはー壇上に立っているのがラプソーンではなくマルチェロ本人だったのならー手出しをしないよう頼んである。

 

 ククールはディーノの言葉にうなずき、立ち上がった。

 マルチェロに暗黒神ラプソーンがついているのなら、こちらにも女神と他数名がついている。

 だから、負けない。

 その女神は、不思議なタンバリンでククールのテンションを上げてくれる。

 マルチェロの連続攻撃でぼろぼろになりながらも、ククールは、不思議と痛みを感じなかった。

 

 ―戦いは続いた。

 激しい剣と呪文の応酬。

 

 そしてついに、ククールの放ったジゴスパークを受け、マルチェロは膝をついた。

 

 ―罪を犯した者は、天の雷に打たれるという。

  では、地獄から呼びだした雷に打たれるのは、何者だろう?

 

 荒い息をつきながら、ぼんやりとククールはそんなことを考えていた。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 それからの出来事は、なんだか悪い夢を見ているかのようだった。

 突然ラプソーンが現れてマルチェロの肉体を乗っ取り、女神像を破壊したー。

 

 そして、聖地は崩壊した。

 

 一瞬の出来事。

 まるで、夢のような。

 しかし、これは……現実だった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 わずかの間、意識を失っていた。

 全身が痛む。

 目を開けると、変わり果てた景色があった。

 

 一体、何が起きたのか。

 朧な記憶はあるが、あまりにも急激な変化に、理解が追いつかない。

 

 だが、全てを失ったことはわかった。

 夢も、地位も、権力も。何もかも。

 

 それでも、とにかくマルチェロは立ち上がり歩き出した。

 自分がどこを見ているのかもわからぬままに。

 

 …ずっと、そうしてきたのだから。

 そうすることしか、彼は知らなかったから。

 

 

 ―と、突然、足元の地面が割れ、マルチェロの体はそこに吸い込まれていく。

 底知れぬ闇に。

 堕ちたら二度とは戻れまい。

 

 だが、その時。

 今しも闇に呑み込まれそうなマルチェロの手を掴む者があった。

 

 暗闇に浮かぶ微かな灯。

 

 ―ククール、だった。

 

「…なん…の…つもり…だ…? 放…せ…!!」

 名を口にするのも腹立たしい、忌まわしき存在。

 それを一瞬たりとて光と錯覚するとは、なんたることだ。

「貴様等が…邪魔を…しな…ければ 暗黒神のチカラ…

 我が手に…できたのだ…。

 だが…望みは…潰えた……。すべ…て 終わった…のだ……」

 なのに貴様は、私を再びこの忌まわしき世に引きずり出そうというのか?

「さあ…!放せ…!!

 貴様…なぞに…助けられて…たまる…か……!」

 無理矢理手をふりほどき、闇の底へ堕ちようとするマルチェロだったが、ククールはその手を放さなかった。

 

 …もう、離しはしない。

 

「…死なせないさ。

 虫ケラみたいに嫌ってた弟に情けをかけられ、あんたは惨めに生き延びるんだ。

 好き放題やって、そのまま死のうなんて、許さない」

 そのままありったけの思いをこめて、マルチェロを引き上げる。

 

「このうえ…生き恥をさらせ…だと? 貴様……!!」

 どこまでこの男は……!!

 

 怒りを募らせるマルチェロと対照的に、ククールは、黙ってうつむいていた。

 そよ風が、ククールの髪を撫でる。

 

 ―あの日も、こんな風が吹いていたっけ……。

 

 ―人は、こんなに変わってしまったというのに。

 

「……10年以上前だよな。

 身寄りがなくなったオレが初めて修道院に来たあの日。

 最初にまともに話したのが、あんただった」

 

 ―そんなことが、あっただろうか。

 マルチェロは、聞くともなし、ククールの話に耳を傾ける。

 

「家族も家もなくなって、ひとりっきりで…修道院にも誰も知り合いがいなくて…。

 最初に会ったあんたは、でも、優しかったんだ。

 はじめのあの時だけ。

 オレが誰か知ってからは、手の平を返すように冷たくなったけど それでも…

 ……それでも オレは。忘れたことは、なかったよ」

 

 ―マルチェロの顔を、見る事が出来ない。

 

 すぐ側にいるはずなのに。

 こんなにも、遠くて。

 

「…いつか…私を助けた…こと… 後悔…するぞ……」

 

 マルチェロは、ククールを見なかった。

 ククールも、マルチェロを見なかった。

 ただ、二人の間だけが、開いていく。

 

「…好きにすればいいさ。

 また何かしでかす気なら、何度だって止めてやる」

 決然としたククールの声。

 

 ―こいつは、こんな奴だっただろうか。

 

 この時ようやく、マルチェロは、自分がククールのことを何も知らなかったことに気づいた。

 そして、思い出した。

 ―幼き頃、自分が弟の誕生を願っていたことを。

 

 

    何故、こうなってしまったのだろうか。

    違う時代に生まれていれば。

    違う出会い方をしていれば。

    二人とも、もっと違った生き方ができたかもしれない。

    もっと違った関係を築けたかもしれない。

 

 

だが…もう。

あの頃には、戻れない。

 

 

 …皮肉なものだ。

 神の教えは何一つとして役には立たぬと思った。

 力だけが全て。

 だから、不要なものは全て捨て去った。

 

 しかし、自分は今、その、捨てたものに助けられたのだ。

 そして、捨てた自分に救われた者がいたのだ。

 要らぬと捨てた自分を、ずっと求め続けていた者が。

 

 だが…あの頃の自分は、もう、いないのだ。

 

 マルチェロは、指輪をはずすとククールに向かって放り投げた。

 

「これ…あんたの 聖堂騎士団の指輪か…?」

 呆然としたようなククールの声。

 

「貴様にくれてやる。…もう私には無縁のものだ」

 ―オディロ院長より授かったこの指輪。

 しかし、自分はそれを、ずっと以前に捨てていたのだ。

 その持ち主ごと。

 

 だから。

 欲するのならばくれてやる。

 

 ―最初で最後の、贈り物だ。

 

 私にはもう、何も残らぬ。

 院長が亡くなったあの日、全てを捨てたのだから。

 

 マルチェロは、ククールを見た。

 初めて、見た。

 そして、それが最後だった。

 マルチェロは、ゆっくりと歩き出す。

 離れていく。

 ―遠い遠い、ところへ。

 

 

 人は誰しも心の中に、自分だけの聖域を持っている。

 

 幼い頃、二人は安らぎを求めた。

 それは、自分にとっての聖域。

 ククールにとっての聖域は、あの日のマルチェロ。

 マルチェロにとってはー。

 

 しかし、その聖域は、もう、ない。

 

 聖域は崩壊した。

 

 しかし、人は生き続けなければならない。

 すがるもののない、この世界を。

 

 ―マルチェロは、崩壊した世界を、ただ一人、歩き去っていった。

 

 

 

2006.1.11

 

 

 

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