あなたはわたしから
親しい者を遠ざけられました。
彼らにとってわたしは忌むべき者となりました。
わたしは閉じこめられて、出られません。
(詩篇88.9)
愛する者も友も
あなたはわたしから遠ざけてしまわれました。
今、わたしに親しいのは暗闇だけです。
(詩篇88.19)
闇と栄光
終章 永遠の夜の中で
マルチェロは、深い闇の中にいた。
そこがどこかはわからない。
ただ、闇だけがあった。
―暗闇の中で、彼は、夢を見た。
長い長い、夢を。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
神に逆らう者の安泰を見て
わたしは驕る者をうらやんだ。
死ぬまで彼らは苦しみを知らず
からだも肥えている。
だれにもある労苦すら彼らにはない。
だれもがかかる病も彼らには触れない。
傲慢は首飾りとなり
不法は首飾りとなって彼らを包む。
目は脂肪の中から見まわし
心には悪だくみが溢れる。
彼らは侮り、災いをもたらそうと定め
高く構え、暴力を振るおうと定める。
口を天に置き
舌は地を行く。
(民がここに戻っても
水を見つけることはできないであろう。)
そして彼らは言う。
「神が何を知っていようか。
いと高き神にどのような知識があろうか」
見よ、これが神に逆らう者。
とこしえに安穏で、財をなしていく。
(詩篇73.3−12)
神を知らぬ者は心に言う
「神などない」と。
人々は腐敗している。
忌むべき行いをする。
善を行う者はいない。
神は天から人の子らを見渡し、探される
目覚めた人、神を求める者はいないか、と。
だれもかれも背き去った。
皆ともに、汚れている。
善を行う者はいない。ひとりもいない。
(詩篇53.2−4)
―見よ、この腐敗。
この汚れを無視するには、彼は潔癖にすぎた。
彼は人の世の汚れに憤り、その排除を願った。
悪事を謀る者のことでいら立つな。
不正を行う者をうらやむな。
彼らは草のように瞬く間に枯れる。
青草のようにすぐにしおれる。
主に信頼し、善を行え。
この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
主に自らをゆだねよ
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にまかせよ。
信頼せよ、主は計らい
あなたの正しさを光のように
あなたのための裁きを
真昼の光のように輝かせてくださる。
沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。
繁栄の道を行く者や
悪だくみをする者のことでいら立つな。
怒りを解き、憤りを捨てよ。
自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
悪事を謀る者は断たれ
主に望みをおく人は、地を継ぐ。
しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。
彼のいた所を調べてみよ、彼は消え去っている。
(詩篇37.2−10)
しかし、彼は信じることができなかった。
信じようとすれども 叶わず
それを口にする事もできず
彼の苦しみは増すばかりだった。
わたしは口を閉ざして沈黙し
あまりに黙していたので苦しみがつのり
心は内に熱し、呻いて火と燃えた。
(詩篇39.3−4)
その炎は凄まじく、ついには彼自身を灼き尽くした。
後に残ったのは暗闇だけ。
―こうして彼は、神と、彼自身をも失った。
闇の翼が、彼を包み込んでいく。
神に逆らう者に罪が語りかけるのが
わたしの心の奥に聞こえる。
彼の前に、神への怖れはない。
自分の目に自分を偽っているから
自分の悪を認めることも
それを憎むこともできない。
彼の口が語ることは悪事、欺き。
決して目覚めようとも、善を行おうともしない。
床の上でも悪事を謀り
常にその身を不正な道に置き
悪を退けようとしない
(詩篇36.2−5)
彼は、暗い道を歩いていった。
そして、気づいたときには深い闇の底にいた。
二度とは戻れぬ深い闇に。
「見よ、この男は神を力と頼まず
自分の莫大な富に依り頼み
自分を滅ぼす者を力と頼んでいた。」
(詩篇52.9)
悪事を働く者は必ず倒れる。
彼らは打ち倒され
再び立ち上がることはない
(詩篇36.13)
しかし、彼の黒い翼は、折られてなお羽ばたくことをやめぬ。
何故なら、休むことを知らなかったから。
彼の翼は、闇の底でいつまでも羽ばたき続ける。
彼は慈しみの業を行うことに心を留めず
貧しく乏しい人々
心の挫けた人々を死に追いやった。
彼は呪うことを好んだのだから
呪いは彼自身に返るように。
祝福することを望まなかったのだから
祝福は彼を遠ざかるように。
(詩篇109.16−17)
かつて彼は一度だけ、幼子の心に光を灯した。
その光は人の形をとり彼に手を差し伸べたが、
彼は、差し伸べられた手を拒んだ。
それは、彼自身を否定することであったから。
もはや、彼に手を差し伸べる者はあってはならぬ。
何故なら、彼は神を捨てたのだから。
そこは闇だった。
しかし、今や闇こそが彼の生きる場所なのだった。
彼は、自らの手を天に掲げた。
一本の指に、うっすらと指輪の跡が見える。
それは、かつての彼の、唯一の名残。
―白い跡がやけにまぶしくて、彼はゆっくりとその手をおろした。
あとには暗闇だけが残された。
2006.1.16
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