闇と栄光

 

第十章 闇よりもなお昏きもの

 

 

 

 努力の甲斐あって、マルチェロは、院長就任後間もなく法皇の警護も兼任するようになった。

 陰口を叩く者も多かったが、それはマルチェロの昇進を妨げはしない。

 人望など必要ない。

 ただ、力だけがあればいい。

 抱かれるのは、畏怖だけでいい。

 

 

 ……ククールに会った。

 修道院でも自分は皆に畏怖を抱かれていたが、こいつだけは平然と私を見返す。

 ……その小生意気な顔。

 この顔を見るたびに、憎らしくてたまらなかった。

 と同時に、恐れた。

 この顔が、いずれ自分を見下ろし、踏みつけにするのではないかと。

 ……いったい、自分は何をそんなに恐れていたのか。

 今や自分は法皇直属の聖堂騎士団長。

 対してこやつは、寄る辺もないただの野良犬。

 野垂れ死ぬとしたら、ククールの方ではないか。

 気に掛けるには、値せぬ。

 重要なのは、教会有力者をどういう順番で消していくか…それだけだ。

 その時は、近い。

 

 …さらばだククール、もう会う事もあるまい。

 

 

 

 そして。

 教会内外の有力者をほぼ一掃し、上に立つのは法皇とニノだけになった頃。

 

 

 マルチェロは、突然法皇に呼び出された。

 

 …法皇。

 いと徳高く尊きお方。

 遙かな高みから人々を見下ろし祈る。

 そして……それだけの、存在。

 今や、その冠を私に渡すためだけにある存在。

 

 その彼が、私に言った。

 側仕えにしたのは、私が道を誤らぬようにするためだったと。

 然るに、今教会は汚れ金にまみれている…。

 ―そう、私を責めた。

 どうやら空の高みにおわす方は、私のやり方が気に入らないらしい。

 

 …何を今さら。教会はとっくの昔に腐敗していたというのに。

 いや、そもそも最初から、この世界そのものが腐っていたのだ。

 この広い世界で、汚れていないものなどありはしない。

 教会だけが例外とされるはずないではないか。

 教会であれどこであれ、力こそすべて。

 手段は選ばぬ。

 

(……どうやら、あなたとお別れする日も近いようですね、法皇様。)

 

 いと徳高き、尊き法皇。

 オディロ院長を助けられなかった法皇。

 この世の何者をも救わぬ法皇様……。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 それから、数日後。

 

 法皇の館に侵入者があった。

 法皇の身に何かがあれば、マルチェロの失態。

 法皇の椅子が一歩遠のく。

 マルチェロは、急いで法皇のもとへ駆けつけた。

 

 すると、そこには倒れた法皇と奇妙な黒犬。

 側になぜかククールとニノがいて。

 ニノ大司教は、法皇が倒れたことを怒り、マルチェロを降格させると一人騒ぎたてている。

 

 …なんと、愚かなことだ。

 事の詳細は分からぬが、確かなのは、この場にいるのは我々だけだということ。

 そして恐らく、事態を把握しているのは他に誰もいない。

 ニノ大司教は理解していない。

 ―聖堂騎士団の指揮権を持つのは、あなたではなく、あくまでこの私だということを。

 

「…はっはっは!ニノ大司教殿。そういう訳でしたか。

 観念なさい。野犬とも誰とも知れぬごろつきどもを雇い…

 騒ぎを起こしてそれに乗じ、法皇様の暗殺を謀るとは。恐れ入りましたよ。

 あなたが次期法皇の座を狙っていた事は知っているが、ここまでやるとはな」

 今まで自分が犬であることにも気づかず、獅子を飼ったつもりになっていたようだが…

 

 ……無様だな。

 自分の立場というものをわきまえない人間は。

 

 この醜悪な光景を見ろ。

 思い上がった犬が騒ぎ立てる様を。

 なんと、滑稽ではないか。

 

 色々と役に立ったが…ここらが潮時だろう。

 しつけの悪い犬には、仕置きをくれてやらねばならぬ。

 

「捕まえろ!このごろつきどもをまとめて流刑にするのだ!」

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 法皇は心労で倒れ、邪魔な大司教はいなくなった。

 ―思いの外うまくいった。

 いずれこうするつもりだったが、それが予想外に早くなった。

 思わぬ幸運、というべきか。

 運というものが神に左右されるものだとしたら、随分と皮肉なものだが……。

 

 と。

 頭に鋭い痛みが走った。

 

(何だ……?)

 

 頭の痛いことばかり起きる毎日だが、ここまで激烈な頭痛は、マルチェロも初めてである。

 

我が肉体は 忌々しき賢者どもに封じられ 失われた…

 

 突然、禍々しい声が頭の中に響いてきた。

 同時に。

 手にした杖から奇妙な枝のようなものが生えてきて、マルチェロの腕に絡みつく。

 

「誰だ!貴様!? この 杖… か…!?」

 

 法皇と奇妙な黒犬が倒れていた、その側に落ちていた杖。

 何故か気になって手にしていたのだが。

 

 …駄目だ。

 意識が遠のいていく……。

 

杖を手にする者よ 汝こそが 我が新しき手足

さあ 杖の虜となれ 仮の宿りとなりて 我に従え…!

 

 『我に従え』。

 その言葉が、マルチェロの心に火をつけた。

 

「ふ…ざ…けるな…」

 

 何者であれ、私の上に立とうとする者を許しはしない。

 もう、私は何者にも膝を折りはせぬ……!!

 さあ。今度は私が彼らを見下ろす番だ…。

 

 マルチェロは、渾身の力を込めて、短刀で自らの腕を刺した。

 

なんだと…!?

 

 濁りかけていた意識が、急速に鮮明になっていく。

 

 ―自分の中に、何かがいるのがわかった。

 それが、ひどく悔しがっていることも。

 

「……命令をされるのは、あいにく大嫌いでね」

 

 マルチェロはゆっくりと立ち上がり、もはや声も発することのできない無力な存在に向かって語りかけた。

 

 それがどういう存在なのか、マルチェロには何となくわかった。

 

 …まったく、忌々しい杖だ。

 

 マルチェロはその杖を捨てようとして…思いとどまった。

 

 ―何も、捨てることはないではないか。

 この強大な力。使わずにおく手はない。

 

 まだやることは、山ほどあるのだから。

 

 マルチェロはニヤリと笑い、法皇の寝室に向かった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 マルチェロは、高い崖の上に立っていた。

 強すぎる風が、今は妙に心地よい。

 ……見下ろすのは、実に気分がよかった。

 

(…クックック。これで邪魔者はいなくなった。)

 

 月明かりが、マルチェロを照らし出す。

 手にした杖からは、血が滴り落ちていた。

 

(そう…この力だ……!!)

 

 

 闇こそ、我が力……!!

 

 

 

2005.12.14

 

 

 

次へ

戻る

小説に戻る

 

 

 

inserted by FC2 system