伝勇伝と銀英伝

 

 

 「伝説の勇者の伝説」と「銀河英雄伝説」。この二つには色々と共通点が多い。
 略すと漢字三文字になって語感も似ている…というのはさておいても、設定、ストーリー、キャラクターなど様々な面で似ているところが多数見受けられる。ここではそれら類似点と、また相違点について比較検討し、この二つの作品についてより深く考えたいと願うものである。

 まず、腐りきった国を立て直すべく片方の主人公が王になる、という設定が共通点として目にとまるが、決して珍しいものではないこの設定にことさら銀英伝の影を見てしまうのは、「働きすぎな主人公と怠け者の主人公」(シオンとライナ、ラインハルトとヤン)という両者の設定と、ミラン・フロワードの存在が大きいだろう。

 ミランは王の覇道に従う影の部分を担うキャラとして、その役割が銀英伝のオーベルシュタインと全く同じなのである。ことに、ミランがシオンに初めて対面し自分を売り込む場面など、まるでラインハルトとオーベルシュタインのそれを見ているようにしか思えなかった。

 だが、無論両者には違いもある。光のキャラばかりが王を取り巻く中、闇の部分を一手に引き受けているため味方からも疎まれている点は同じだが、ミランの場合はオーベルシュタインほど毛嫌いされてはいないように見える。オーベルシュタインと違って、「こいつさえいなければあのキャラも死なずにすんだかもしれないのに…!」というようなこともないので読者からの人気もそれなりにあるようだ。外見もまるで違うし、オーベルシュタインが可愛げなどという言葉から最も遠い一方で、ミランは常識の一部が欠落していてそこがとぼけた味になっている。オーベルシュタインも犬を拾うなどの意外な一面はあるものの、直接可愛がる場面が出てくるわけではないこともあり、どうしても冷血無情のイメージが先にたつ。
 つまりミランは、オーベルシュタインの永久凍土をとかし、好感の持てる外見といくばくかの愛嬌をふりかけたようなキャラと言えるだろう。

 これは作品全体の傾向とも言えるかもしれない。「伝勇伝」キャラは総じて「銀英伝」キャラよりも堅苦しくなく感情表現が豊かで、際立った外見を持っている。平均年齢が下がっているのも特徴だ。

 さて、「働きすぎの主人公」であるシオンは王家とつながりを持つものの何の後ろ盾もない弱い立場にいたが、腐敗した貴族に怒り己の力だけで王位についたこと、ラインハルトと同じである。性格も真面目で仕事以外に趣味がないこと、赤毛の親友がいること(これは殆どこじつけだが)、美形で政戦両略に優れ国内の支持は絶大なこと、などなど共通点は数多い。
 あえて違いを挙げるなら、ラインハルトの方がより潔癖で繊細で気性が激しく子供っぽい、というところだろうか。他、シオンの方がラインハルトよりも気さくで友人が多いことも挙げられるだろう。
 このあたりは両作品を知っていればすぐに考えてしまうところだと思うが、もう一方の「怠けものの主人公」の方も共通点は結構多いのではないかと思う。

 「怠けものの主人公」であるライナはずば抜けた能力を持ちながら、あまり積極的には動きたがらず、いつも心のどこかにどうせだめだろうという諦観を抱えている。このあたりは「銀英伝」のもう一人の主人公、ヤン・ウェンリーと通じるものがある。後に自国を追われ、流浪の末独立政府をたてることになったのも同じ。
 しかしこの二人は違いも大きいため、シオンとラインハルトほどには両者は結びつかない。まず、ライナとヤンでは年が約十歳も離れているし、桁外れといっていい戦闘能力を持つライナに対し、ヤンはといえば「首から下は用なし」と言われるぐらい白兵戦はからきしである。
 それに、作中一度しかラインハルトと顔を合わせなかったヤンと違って、ライナとシオンは学生時代からの親友であり、シオンがライナに手を差し伸べる場面など、むしろラインハルトとキルヒアイスを想起させる。
 ライナとシオンはやがて友人のままに敵対することになるけれど、このように友人同士で戦うというのは、心痛くも盛り上がるものである。もしもラインハルトとキルヒアイスが戦うことになっていたとしたら、それは嫌だけれどそのような展開に全く心惹かれるものはない、と言ったら嘘になるだろう。(もっとも、「友人同士の戦い」は別の形で実現されることになってしまったわけだが…)
 「伝勇伝」を見ていると、「もしもラインハルトとキルヒアイスが敵対することになったとしたら」「もしもラインハルトとヤンが同じ陣営に育ったとしたら」といった、「銀英伝」を読んだ時に考えたことどもが、形を変えて表されているように思え、そこがまた面白い。

 無論、「伝勇伝」は「銀英伝」のパラレルワールドではないから、違いも多く、ことに作品の雰囲気などは全くの別物である。SFとファンタジーという世界観の違いもそうだが、そのSF色すら極力廃し、それらの描写は最低限に抑えて「架空歴史小説」を志向した「銀英伝」と、独自の魔法や複写眼といった設定を凝らし、剣士&魔法使いの冒険や勇者の遺物などファンタジー色満載の「伝勇伝」では作品姿勢からして違う。ただ、「人間を描きたい」という点では共通していて、そこが両者を重ならせるのだと思う。
 両作品とも、登場人物は容赦なく死んでいく。ことに「銀英伝」では複数いる主人公のうち最後まで生き残ったのが一人だけという始末で、その点は実にシビアだった。
 「銀英伝」では人間の作り出す歴史、長い歴史の中の、無数の人間のうちの一人という視点が特徴的だった。一方「伝勇伝」では、そうしたものよりもあくまでも現在や個人、その内面に重点が置かれているように見える。それは「複写眼」の設定に顕著だろう。

 「銀英伝」の舞台は空の彼方にあり、登場人物は夜空に煌めく星々のよう。地上の読者は遠くまばゆく輝く彼らを見上げて様々に想像を膨らませる。その向こうに深遠な宇宙の存在を感じながら。

 一方「伝勇伝」の舞台はあくまでも地上である。喜びも悲しみも、すべては明るい太陽のもとでなされ、読者は同じ地平の壁を隔てた向こう側に登場人物の存在を感じる。

 地上と宇宙。作品世界がそうであるだけでなく、作品全体のイメージとしてもそうなのだ。しかし、「時は移り、所は変われど、人類の営みに何ら変わるところはない」。

 

 

2011.9.24

 

 

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