名前の定義

 

 

 デスノートに名前を書かれた人間は死ぬ。

 それゆえ、この作品において名前というものは重要な意味を持つわけであるが、そもそも、その名前とは一体どのように定義づけされるのだろうか。どこまでがデスノートに有効な「名前」として認められるのだろうか。

 とりあえず、辞書によると、名前とは、

  1. (特定グループ内において)個体の認識に役立つように付けられる象徴的記号。(数字を含むことはあっても、番号そのものとは区別される)。
  2. (名字と違って)その家族に属する一人ひとりを区別して表す呼び方。(広義では、名字をも含む)
  3.               (新明解国語辞典より)

    となっている。

     デスノートにおける「名前」とは、このどちらなのか。それとも、このどちらでもない方法で定義づけされているのか。

     どちらでもない定義づけの方法としては、

  4. 本人が本名と認識している
  5. 戸籍上の名前

 などが考えられる。

 考察に入る前に、ここに一つの興味深い材料を挙げてみたい。

 Lの身代わりとしてスピーチをして殺された、リンド・L・テイラーの件である。キラは、テレビ画面に表示されていた「LINDLTAILOR」という名前をそのままデスノートに記し、結果、テイラーは死亡した。

 ここで注目すべきは、ミドルネームが「L」と略されているにも関わらず、デスノートが効力を発揮したことである。

 つまり、「1」「3」の定義ならば、その表記方法にある程度幅が持たせられることを証明し、また「2」の定義である可能性も補強されたということである。さらに、この件により、「4」の可能性は除外される。

 残念ながら、現時点では情報不足のため1〜3のいずれかに絞り込むことはできない。ただ、もし定義1が採用されているのならば、デスノートに「L」と書いても有効だということになる。「失敗は3度まで」という法則があるため(月がこれを知っているのかどうかあ不明だが)やたら試すわけにはいかないだろうが、試してみたら、案外あっさりと決着はついてしまうかもしれない。

 名前の「定義」について現時点でこれ以上絞り込むことは不可能なわけだが、他の面ではデスノートの有効範囲についてまだ色々と気になる点がある。

 「複数の名前を持っている場合はどうなるのか」ということだ。

 など、ざっと挙げただけでも様々な場合が考えられる。―もっとも、これは、名前の定義づけがきちんとなされないことには判断できない問題ではあるのだが。

 他に気になる問題としては、表記方法についてが挙げられる。

 例えば日本人の場合、

A「漢字名をひらがなやアルファベットで表記するのは有効か」

B「同音異義語は有効か」

C「漢字そのものの間違い(=厳密には存在しない文字)は認められるか」

D「字が汚いため判読できる人間とできない人間がいる」

 などの問題がある。

 ここで重要な材料となるのが「名前を間違えて報道されていた人間にデスノートが効かなかった」という点である。

 「名前を間違えての報道」という場合、主に考えられるのは、「同音異義語」「スペルミス」「別人の名前を報道」の三点である。特に多いと思われるのが前の二点。Lが「キラは殺人に名前が必要」と判断できるほど「名前を間違えて報道されていた大物犯罪者」の事例があったという点から考えるに、この二点の場合デスノートは無効だとほぼ確定できる。

 つまり、Bは無効。Cについては、報道の際文字そのものを間違う可能性はほぼゼロと考えられるので(また月がそんなミスをするとも考えにくいので)材料に乏しく現時点では判断できない。点のつけ忘れなどの小さなミスで、判読できればそれで構わないのかもしれないし、わずかでも異なれば無効となってしまうのかもしれない。

 DCと根本の問題は同じである。要は、どれだけ本来の形―記号から離れたところまで認められるか、という問題であろう。

 そして、最も気になるのがABと違って「明らかな間違い」ではないが、死神の目に映る文字とは異なっている。

 月の使用したデスノートを見ると、漢字、アルファベット、ハングル文字、アラビア文字らしきものまであり、名前はきちんとその国の言語を用いて表記されていることが窺える。そうしなければデスノートは効力を発揮しないのだろうか。この点が、まずどうもはっきりしない。

 ただ、「死神の目」のことを考えると、やはり本来の文字で記されていなければだめだという可能性が高くなると思われる。「死神の目」で、死神はその人間の名前を知り、それをノートに記す。その際、死神の目に映るのは、その人物の属する社会で用いられている文字であった。デスノートで有効な名前=死神の目に映る名前とするならば、重要なのは音ではなく記号―死神の目に映るものと全く同じものがデスノートに表記されるか否か、ということになる。その文字を読めるかどうかは関係ない。

 さらに、名前に関して定義3が用いられているのであれば、「知らない言語で表記されたものを見ても本人には識別できないから無効」という説明が加わることになるだろう。

 もっとも、これらの場合、「文字をもたない民族、もしくは表意文字を採用している国でその人間及び周囲の人間のいずれも文字の読み書きができなかった場合、どうなるのか」という問題が発生する。そもそもこのような場合、死神の目にはその人物の名前はどのように表記されるのか。

 目の持ち主の知っている言語で映るのか(その場合、持ち主が表音文字を知らなかったらどうなるのか)、それとも死神の文字で表記されるのか。

 デスノートに記す際、表音文字ならば何でもいいのか、それとも死神の文字で表記しなければ駄目なのか。

 無論、このような特別な場合ではなくとも、デスノートで有効な名前=死神の目に映る名前」なのではなく、「デスノートで有効な名前>死神の目に映る名前」という可能性はあり、表音文字ならば何でも有効という可能性が消えたわけではない。

 これは、デスノートにおいて「名前」というものが「記号(文字)」と「音」のどちらがより重視されているのか、という問題につきる。「音」はどこまで重視されているのか。このあたりも「名前」というものに関しては重要なところであるから、そのうち明らかにしてほしいものである。

 

 

2004.9.9

 

 

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