それぞれの正義

 

 

 「デスノート」とは、「正義」というものについて考える材料をいろいろと提供してくれる作品である。

 主人公・夜神月は、「悪人のいない理想の世界」を作るため、デスノートを使って悪人を次々と「消して」いく。その現象が知れ渡り、事実、凶悪犯罪は激減した。しかし月は、犯罪者だけでなく、「逆らう者」にもその矛先を向ける。最初はデスノートを使うことに怖れを抱いていた月も、徐々に「殺人」という行為に抵抗を無くしていき、L(=自分に逆らった憎い対象)を消すために、次第になりふり構わなくなっていく。

 一方、「キラ(=月)逮捕」を目標に動くLも、手段を選ばない。犯罪者を盾として自分の身代わりに利用したり、容疑者に拷問まがいの尋問をしたりと、なりふり構わぬ違法捜査ぶりである。キラ逮捕のためには、無実の者が殺されるのを見殺しにしようとしたりもする。

 そんな両者が、共に対立する「正義」を掲げ、激突する。

 しかしそれほ、本当に「正義」なのか?

 ……そんなことを考えるきっかけを与えてくれるのだ。

 さて、それぞれの行いが正義か否かを判断するには、まず「正義」というものを定義する必要がある。
 私の定義では、正義とは「道徳的に行為させること」である。簡単に言えば、道徳的な行いをした者に利益を(そうでない者に不利益を)分配することによって、人を道徳的に行為させるようし向ける。善行を称賛し、悪行を非難するーといったことだ。
 ただし、この定義では、正義は高い優先順位に来るものではあるが、一番ではない。最も優先されるのは、「正しい」あるいは「善」と呼ばれるものである。
 ちなみにここでは、全体の幸福量を増すことを「正しい」と定義している。そして、全体の幸福量を増やすような行いが、道徳的な行いと呼ばれる。その道徳的な行いをさせるよう(利益の分配により)し向けるのが「正義」―故に、「正義」は「正しい」の下位に来る。両者はしばしば混同して使用されるが、この問題を考えるにあたっては、別のものとして捉えた方がいいだろう。そして、「正義」は常に「正しい」わけではない。
 例えば、厳しい法律を作れば、結果その社会の人間は心安らかに暮らせなくなり、結果として全体的な幸福量が下がってしまうことがあるし、悪人に罰を与えようとした結果、黙認した場合よりもひどい事態に陥ることもある(戦争がいい例だ)。

 それで、月の行為についてだがーこれが「正義」かと言われれば、正義なのだろうと思う。現に凶悪犯罪は減っており、道徳に反する行いをさせないようし向けることには成功しているのだから。問題は、これが正しいかどうかである。
 月がこのままデスノートを使用し続けた場合―構築される「新世界」は、そうでない世界と比べ、より幸福なものになり得るか否か。それがこの問の焦点になる。

 メリットとしては、犯罪の減少が挙げられる。
 では、デメリットとしては、どのようなものがあるか。

 まず考えられるのが、「冤罪」の問題である。キラの裁きは、報道をもとに極めて迅速に行われる。だから、濡れ衣を着せられた人や情報操作で陥れられた人なども、キラに殺されることになる。厳密な検証が繰り広げられる裁判でさえ、時に誤った判決が下りるのに、月はそれを待たずして裁きを下すことも多々あるようだから、冤罪の犠牲者も増えていることだろう。
 また、世の中には凶悪犯罪者が何かのきっかけで更生して人命を救う、というようなことが稀にあると思うが、キラの裁き(=死刑)によって、それがなくなってしまうかもしれない(再犯による被害を未然に防げた、というメリットもあるかもしれないが)。

 あと、月がずっとその理性と正義感を失わずにいられるのか、という問題もある。現に月は、今ではすっかり殺人への抵抗もなくなってしまい、自分に逆らったLを殺すことばかり考えている。最初は「恐怖による独裁は狙って」いなくても、最後までそのつもりでいられるだろうか。そして、もし月の箍が外れた場合、その社会はどんなものになってしまうのか……(そういった月の性格変化も描写しているから、この作品は面白い)。

 月の行為が正しいと言い切れないのには、こういった理由がある。

 仮に神がこのように悪人を裁いていくのだとしたら、それは「天罰」と呼ばれ、誰も異論を差し挟まないことだろう。
 なぜなら、「天罰」の場合には、上に挙げた「キラの裁き」のようなデメリットが存在しないと考えられるからだ。全知全能の神が、裁きを間違えることはありえない。未来の再犯・更生の可能性までも考えて裁きを下せるはず。
 だが、月は違う。月は人間だ。だから必ず間違いを犯す。
 現時点ではいいように見えても、いずれ「もっと早くキラを捕まえるべきだった」と言われるようになるかもしれない。だから、社会がキラを神として戴く事は不利益になると考えその存在を拒否し(=逮捕し)ようと考えても何ら不思議はない。

 結局、月が人間である以上発生するこれらのデメリットを考えると、やはり人間がデスノートを使うべきではない、という結論になりそうだ。

 しかし、ではもう一方のLが正しいのかというと、そうとも言い切れない。
 
Lは、キラ捜査にあたって、様々な違法捜査を行っている。
 多少の無茶をしなければ人外の力を持つキラには対抗できないという事情はあるにせよ、その法の逸脱ぶりは許容範囲を超えている。
 直接手を下したわけではないものの、目的のために死刑囚を利用した、という点では同じだし、他にも様々なキラと似た行動を見せている。

 キラを否定するのならばーそして、その否定の根拠が「人間は必ず間違いを犯す」というものである以上、捜査する側は、その前提のもとに作られた法律に反してはならない。そうでなくては、キラを否定することができなくなってしまう。

 だが、Lは、平然と法律を犯す。自分が間違っているかもしれないなどとは微塵にも思わず、その思考回路は月と非常に似通っている。
 キラを捕まえようとするのも、後の被害を考えてというよりは、「稀に見る好敵手と勝負して勝ちたい」という個人的意思によるもので、たまたまそれが社会の方針と一致していたにすぎない。
 そんな
Lだから、いつ「悪」に傾いていてもおかしくないという危うさを覚える。
 今はまだ、その行いは「正しい」と呼べる範囲だが、そのうち違法捜査の度が過ぎてキラを放置した場合よりもひどい事態を招いたりするかもしれない。

 ……将来どう転ぶかわからないという点も、キラと同じである。

 そもそも、法を犯してキラを否定する根拠をなくした以上、「キラを悪・自分を正義」とみなすことはできないのだ。
 そこにはただ、目的を持ち対立する両者がいるだけなのである……。

 

 

2005.2.4

 

 

 

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