バラン戦(12)までを振り返って

 

 

<ニセ勇者編(第一巻)>

 記念すべき第一話。この話は、様々な面から「ダイの大冒険」の世界観を表している。
 呪文やモンスターなど、DQ3が基盤になっていることもだが、そのDQ3の勇者の典型パーティーが悪者として登場する、という皮肉な設定は、後のヒュンケル編やバラン編に見られるような(4以後の本家DQでもよく見られる)逆転の構図であるとも言える。

 1ページ目の、「勇者が魔王を倒す」のイメージは、DQ3勇者がバラモスを倒した時のものにそっくりである。しかし、自らの行動を振り返ってみると、DQ3の勇者達(本物)も、このニセ勇者達とあまり違わないのではないかと思えるところがまた面白い。
 「自分よりなるべく弱いモンスターを倒して褒美をもらう」は、逃げるメタルをねちねちと倒して「安全かつ効率的な」レベル上げをするのと通じるものがあるし、「魔王軍にやられたお城に行ってかたっぱしから宝箱を開ける」は言うまでもない。魔王軍の被害を全く受けていない場所でも、住人の目の前で堂々とやっている。(笑)もしかすると、本家DQの勇者一行も、モンスターからはあのように見えていたのかもしれない。
 あと、ここで出てくるモンスター達はどれも本当に可愛らしく、そんなところも見ていて楽しい。

 今でこそ「臆病者」の代名詞のようなニセ勇者達だが、実は結構強い(こちらを参照)。登場するモンスター群を見ていると、DQ3で言えば、最低でも船を入手できるぐらいのレベルで、特に、でろりんの使ったイオラはレベル31にならないと習得できない。頑張ればクロコダインとも互角に戦えたかもしれないのに……本当に勿体ない。

 ところで、ニセ勇者達はおとなしくなったモンスターを倒しては王様から褒美を受け取っていたらしいが、その時点では特にモンスターに苦しめられているわけでもないのに―つまり、モンスターを倒してもらっても王様には何のメリットもないというのに、魔物退治の褒美に金銀財宝を与えるとは、ロモス王も随分と太っ腹である。DQでは、困っている王様を助けても、あまりいい物はもらえない。DQで、はたして王様から大金をもらったことがあっただろうか。王子ですら、旅立つときに50Gしか持たせてもらえないようなところが普通なのである。
 それなのに、ロモス王は何のメリットもない魔物退治に大金を出した挙句、「幻のゴールデンメタルスライム」がよほど嬉しかったのか、オリハルコンの覇者の冠まで与えるつもりだったのだ。あまりにも気前がよすぎるというか……DQの王様にも少し見習ってほしいものである。

#それにしても、なぜダイは旅立つ時にこの冠を装備していかなかったのだろうか。ブラスだって、頼めば出してくれただろう。ダイの様子からすると、必要になるまで完全に忘れていたとしか思えないが、だとすると、気の毒な話である。(冠とロモス王が……)

 

 

<レオナ編(第一巻)>

 レオナ姫登場。フレイザード編で再会した時、「王宮にいる時のレオナはみんなをまとめなければいけない立場だったから、なんだか冷たい感じがした」とダイが言っていたが、後にサミットまで開催したレオナと比べると、ここのレオナは本当にのびのびとしている気がする。
 思ったことを何でもズケズケ言うレオナに、ダイも最初は反感を持っていたが、次第に心通わせる友達に。洞窟を目指し島を歩いていくところは、DQ初期の旅に出たばかりの冒険を想起させ、独特の雰囲気がある。次にダイとレオナが二人だけでパーティーを組むのは、大魔王バーンのもとに乗り込む時なので、それと比べると、色々と感慨深い。大魔王バーンと対峙する頃には、ダイはもう子供ではない。人間の良さも悪さも知ってしまったダイがバーンの問いに答える姿はあまりにも美しく、そして哀しい。このほのぼのとした二人の姿を見ると、それがいっそう際立つのだ。

 さて、前回の敵が勇者だったので、今回は賢者(+キラーマシーン)である。いや、真の敵は毒だったかもしれない。DQでも、冒険初期にはよくこれに苦しめられたものだ。
 そして、これを機に、ダイの額にドラゴンの紋章が初めて発現する。この時は、これがあれほど深い意味を持つとは考えもしなかった。(ただ、こういう力は主人公の特権だと思っていたのだ)
 しかし、紋章の力は、あくまでも足止めと最後のとどめ。紋章の力なしでもキラーマシーンにダメージを与えたのだから、やはりダイの力はすごい。賢者バロンは、「これは勇者を抹殺するために作られたのだ!」と、キラーマシーンの威力にすっかり取りつかれていたが、それを作った魔王が勇者に倒されたことを忘れたのだろうか。賢者なのに……。

 それにしても、勇者打倒のためにこんなものを作っていたとは、ハドラーもなかなかまめなことをする。もしかするとアバン先生も、キラーマシーンの大群に襲われて、大地斬や海波斬を身に付けたのかもしれない。

 なにはともあれ、この事件でバロンとテムジンは失脚。かわって三賢者が登場するが、二人の賢者を一度に失っても、かわりの人材(しかも希少な賢者)がすぐに見つかるとは、パプニカが魔法王国と呼ばれるのも伊達ではない。

<アバン編(第一巻〜第二巻)>

 ついにアバン先生の登場である。
 魔王が復活して「魔王打倒」の目的が明確になり、仲間もできた。ここから本当の「ダイの(ポップの、といってもいいかもしれない)大冒険」が始まったのだ。

 ダイ達の旅立ちに際し、アバン先生の果たした役割は計り知れない。わずか三日で、魔の森をうろつける程度にダイのレベルを上げ、その後の成長を道筋をつけたのがアバン先生だ。そして、何よりもマホカトールの存在。あれがなければ、ダイは島から出ることもできなかったに違いない。
 マホカトールは存在自体がマイナーな上に、身に付けるのも困難で、しかもあまり使えない呪文なので(もしもマホカトールがDQに登場したとしても、マジャスティス並に使えない呪文となっていただろう)、もしかすると使えるのは世界でもアバン先生だけかもしれない。
 アバン先生なしには、ダイ達の快進撃はありえなかった。

 さて、そのアバン先生だが、登場したばかりの時は、「何だか変な人が出てきたなあ……」というぐらいにしか思っていなかった。だが、「アバンのしるし」の話に感動し、今では最も尊敬する人物である。アバン先生を知れば知るほど、尊敬の念は強まり、こうして改めて修行シーンなどを見ても、その言葉の一つ一つに含まれる深い意味を考えずにはおれない。
 なお、しるしの話では、ダイやポップ達への言葉もだが、ハドラーとのやりとりがまた興味深かい。特にアニメでは、これにオリジナルのセリフが加えられていて、それにまた心打たれる。

 第一話では、「魔王打倒のイメージ」として、DQ3のバラモス退治の(ような)図があるが、ここで描かれているのはDQ1のイメージ。魔王と勇者が一対一で対峙し、しかも、勇者(アバン先生)の衣装は、DQ1のパッケージそのもの。なんと兜までかぶっている。(兜はないほうが好きなのだが……。ちなみにハドラーも、竜王と似た衣装で、顔も心なしか老けているように見える)
 そして、DQ1の故事に則り(?)、魔王ハドラーは「オレの部下になれ。そうすれば世界の半分をやるぞ」と勧誘もしていた。まさに、DQ1の再現である。
 ところで、勧誘といえば、思い出すのは大魔王バーンによる勇者ダイの勧誘である。ハドラーが「世界の半分をやる」と単純な欲で釣ったのに対し、バーンは「勝って帰ってもお前は必ず迫害される。無益とわかっている勝利のために命を賭けるか?お前の価値をわかっているもののために働くか?」と問うた。この事実一つとっても、バーンの器の大きさがわかる。バランも似たようなことを言ったのだ。やがて人間たちは、ダイを恐れ、疎み、迫害を始めるだろう……と。

 アバン先生は、ダイ達に「アバンのしるし」を渡した後、メガンテを唱えて空へと消える。(よく火山が爆発しなかったものだ……。結局あの洞窟は何だったのだろう)しかし、「ボスクラスの相手にメガンテは通用しない」というDQの非情な法則が適用され、ハドラーは生きていた。そこでまたもやダイの紋章の力が発動し、ハドラーを撃退する。
 この時から、ポップの言っていたように、無意識に紋章の奇跡に頼る心が生まれてしまったのかも知れない。あのような裏があったとも知らずに……。

 

 

<クロコダイン編(第三巻〜第四巻)>

 デルムリン島を旅立ったダイとポップは、魔の森を何日もさまようことに。
 ちなみに、ここで出現するライオンヘッドは、DQ3のネクロゴンドへの洞窟(攻略本では到達レベルは32)で出てくるモンスター。旅立ったばかりでそんな危険な森をうろつく羽目になるとは……生きているのが不思議なぐらいだ。もしかすると、ポップの「運のよさ」の異様な高さが役に立っているのかもしれない。

 ここでマァムが仲間に加わり、勇者、魔法使い、僧侶戦士の基本パーティーが誕生した。これでようやく、バランスのとれたパーティーに。やはり回復呪文の使い手がいないと、色々と厳しい。
 最初はすごく仲の悪かったポップとマァムだが、アバン先生の思い出を語るマァムにポップは心をときめかせる。この時点ではまだ「ちょっと意識する」程度だったのかもしれないが、この後逃げようとしたところをマァムに殴られたりして、「横っ面をたたく勝利の女神」になっていくのだろう。

 さて、このクロコダイン戦だが、最大の山場は、なんといってもポップがまぞっほの言葉を受け、勇気を奮い起こしてクロコダインに立ち向かっていく場面である。これはダイの大冒険全巻の中でも五指に入る名場面。この一事をもって、この作品は、私の心の指標となったのである。
 「それぞれの状況でどんな判断をしていくかで人は決まっていく」と、まぞっほは言った(これは、アニメで追加されたセリフだが)。そしてまさしく、この選択が大きな分かれ目となったのだ。ポップが大魔道士と名乗り、敵からも恐れられる存在になったのは、この選択が全てのはじまり。この先にもいくつもの「選択」があったが、ポップはもはや決して逃げようとはしなかった。
 ポップ自身の、仲間の、そして世界の未来を大きく変えたのは、まぞっほのこの一言と、ひとつの選択。この事実がまたなんとも深い味わいがある。

 クロコダインもそうだ。クロコダインはこの戦いで一度選択を誤った。ポップは誇りに命をかけたが、クロコダインにはそれができなかった。そして、クロコダインは敗れた。だが、むしろそれでよかったのだろう。もしクロコダインが勝利していたとしても、それで幸福になれたかどうかは疑わしい。この先ずっと後悔の念に苛まれ続けることになったのではないか。
 しかし、ここで敗れ、地位も名誉も命も一度すべて失ったことで、誇りだけは失わずにすんだ。
 敗北したクロコダインはかっこよかった。さすが「獣王」と言われるだけのことはある最期。敗北した敵は、ザボエラやフレイザードでさえ哀愁と共に描かれるが、かっこよさという点ではクロコダインが一番かもしれない。そして、ヒュンケルやバランも、それに劣らず「見事な最期」。やはり、その人物の生き方が最期にも現れるのかもしれない。

 ポップもクロコダインも、この戦いによって、その後の生き方が決定付けられた。この戦いの意義は非常に大きいものだったといえる。

 それはそうと、長生きで博学のザボエラも、ドラゴンの紋章についてはよく知らなかった模様。してみると、それを知っていたハドラーは、かつて魔王を名乗っただけあって、実は結構物知りだったのかもしれない。

<ヒュンケル編(第四巻〜第五巻)>

 全体的に哀愁漂うヒュンケル編。後にダイ一行の長兄役となるヒュンケルも、最初は敵として登場したのだ。ヒュンケルがいなかったら、ダイ達はとっくに全滅していたに違いないと思うと不思議な気分だ。

 一瞬味方かと思わせて実は敵、という登場の仕方をしたヒュンケルだが、ポップだけは、ヒュンケルの剣にただならぬものを感じ、最初から不信感を募らせていた。ここらへんはさすが魔法使い……と思わないでもないのだが、この勘のよさが、なぜ偽マァムの時には働かなかったのだろうか。(やはり恋は盲目なのか…)
 ヒュンケルが何故最初に味方を装おうとした(?)のかも疑問だが(ダイ達の戦いぶりが見たいのなら、最初にダイ達がガイコツ達を倒すのを見てから姿を現せばいいだけのこと)、もしかするとヒュンケルは、「勇者」がどんな人物なのか、その人間性に興味を持ったのかもしれない。だからこそ、味方として近づきダイ達の反応を窺った。おそらくそれは、この時点ではヒュンケル自身も気づいていない師アバンへの思いがそうさせたのかもしれない。(もっとも、単にダイたちがレオナ姫の居所を知っているのではないかと探りを入れたかっただけなのかもしれないが)

 このような、当時のヒュンケルの様子も色々と興味深いが、同時に、ヒュンケルがダイ討伐の任を受けるにあたっての魔王軍の内紛も面白い。
 基本的にゲームのDQでは勇者達は少しずつ強い敵と戦っていくが、ハドラーはクロコダインが倒されたと知るや、すぐさま全軍団長を終結させた。魔王時代も自ら前線に出ていたし、やはりハドラーはバーンに評される通りかなりの覇気の持ち主で、積極的な性格であるといえよう。なお、この時、生まれて一年足らずのフレイザードが、ヒュンケルを青二才呼ばわりしているのが何だかとても面白かった。地底魔城に来たハドラーに喧嘩を売るヒュンケルも。

 最初のニセ勇者編では、「魔物の側から見た勇者」が描かれているが、ヒュンケル編では、それがもっと深刻な形で表されている。結局「バルトスを殺したのはハドラーだった」という真相があるのだが、それは付け足しにすぎず、問題はもっと別なところにある。
 とはいえ、ここではまだそれほど大きな問題としては受け止められていない。特にポップはマァムを助けることにばかり注意がいっているようではあったが……。
 それにしても、アバン先生は一体どうして、遥か下に激流をのぞむ崖の上、という危険な場所でヒュンケルに卒業のしるしを渡したりしたのだろうか。ヒュンケルの憎しみを知っていたはずなのに。

 ともあれ、ヒュンケルに共感を覚えて紋章の力を使えなくなったダイは、自分の力でヒュンケルに立ち向かっていくことになる。そして、一度目は惨敗。
 そんなダイ達の窮地を救ったのは、クロコダインだった。諭すようにヒュンケルに話しかけるクロコダイン。ヒュンケルも、クロコダインとバランだけは尊敬に値すると言っていたし、もしかすると、魔王軍時代からクロコダインはヒュンケルを弟のように思っていたのかもしれない。
 あと、ここで倒れるクロコダインが「ぐふっ」と言っていたのがなんともDQらしくて妙におかしい。

 クロコダインによって助けられたダイ達は、特訓の末、二人がかりでのライデインを身に付け、地底魔城に乗り込む。かつてアバン先生もここを通ったのだと思うと感慨深い。
 それにしても、ただでさえややこしいのに時間がたつと内部構造が変わるダンジョン……こんなダンジョンがもしもDQに存在したら、相当苦労するであろうことは想像に難くない。それを、仲間達の助けもあったとはいえ、殆ど無傷で魔王のところまで辿り着いてしまうとは、やはりアバン先生はすごい。

 そして二度目のヒュンケル戦。ここにマァムが加わったことで、場の雰囲気はがらりと変わる。

 ここで不思議なのは、ダイが闘魔傀儡掌を引きちぎったことだ。魔王軍時代のヒュンケルの闘魔傀儡掌は、本家のミストバーンすら超えると、かつてヒュンケルの闇の師・ミストバーン自身も認めていたとか。ミストバーンの闘魔傀儡掌は凄まじいもので、それだけで全身が引きちぎることができるほど。力任せに破ることなどとてもできるものではない。打ち破るには光の闘気をもってするしかないが、この時ダイはまだ空裂斬すら身に付けていなかったのだ。なのになぜ、ヒュンケルの闘魔傀儡掌から逃れることができたのだろうか。もしかすると、ヒュンケルの中に無意識の手加減があり(特にダイがライデインストラッシュを放つ前は、父の死の真相を知ったばかりで混乱していただろう)、闘魔傀儡掌の威力を弱めていたのかもしれない。もちろん、ダイのアバンのしるし―輝聖石がダイの光の闘気を増幅させて、闘魔傀儡掌を打ち破るのに一役買った、という可能性もあるにはあるが。

 魂の貝殻で、父の死の真相を知ったヒュンケル。しかし、「今さら…生き方を変えられん。大人とはそういうものだ……」(by バラン)の言葉にあるように、そうそう簡単に立場を変えられるはずもない。そのためには、一度負ける必要があった。ダイ達に破れ、「一度死んだ」からこそ新しい生き方ができる。
 そこに丁度都合よく、魔法剣を会得したばかりのダイがいた。その威力の凄まじさたるや……これまでの苦闘があるからこそ、それがよくわかる。丁度DQで不似合いなほど強力な武器を手に入れた時のような、守備力の高い相手に守備力無視の攻撃ができた時のような。
 後半になると、「魔法剣=雷撃剣(デイン+剣)」という印象があるが、なかなかどうして、火炎剣も大した威力である。

 魔法剣の前にヒュンケルは敗れるが、己の負けを認めたヒュンケルには、むしろ清清しさがあった。「魔剣戦士ヒュンケル」は光の闘気と暗黒闘気を同時に併せ持つ存在とのことだったが、それは本人にとっても苦しいに違いない。ようやくそこから解放されたのだ。(もっとも、そうなったらなったで、また別の苦しみに襲われることになるのだが)

 最後に響く鈴の音(特にアニメ)が、なんとも物悲しい余韻を漂わせていた。

<フレイザード編(第六巻〜第八巻)>

 久しぶりにレオナが登場。デルムリン島ではあまりわからなかったが、その姿は実に凛としていて、さすが王女だと感じさせる。だが、再会の前に、また長く険しい戦いが待っていた。

 レオナ達の潜むバルジ島。そこに現れたフレイザードが、今まさにレオナの息の根を止めようとする瞬間、ダイ達が現れた。当初、戦闘はダイのやや有利に展開するが、フレイザードの氷炎結界呪法により形勢は逆転。レオナは氷づけにされ、ダイ達は一時撤退を余儀なくされる。

 それにしても、フレイザードはどうやってバルジ島へ行ったのだろうか。トベルーラを使えるようには見えないが、ああ見えて、もしかして空を飛んだりできるのだろうか(フレイムも飛んでいたし)。仲間の誰かを一足先に島へやって、リリルーラで合流したという手も考えられるが……。それとも、魔王軍のメンバーが皆円滑に移動できるよう、軍団長たちは誰か(ザボエラかハドラーあたり?)に連れられて世界一周をしているのだろうか。それならば、ルーラやリリルーラ、キメラの翼などで、どこへでも、すぐに駆けつけることができる。
 しかし、ダイ討伐に熱意を燃やすフレイザードだが、いつ来るか、そもそもあんな辺鄙なところに来るかどうかもわからないというのに、わざわざ氷炎結界呪法を準備して待つとは、意外にも周到な性格なのかもしれない。ダイ達がすぐに駆けつけたのは本当に偶然のなせるわざであり、もしもフレイザードが、もう少し早く塔に来てパプニカの人たちを全滅させていたら、ダイ達を塔へ導いてくれる者は誰もいなくなり、フレイザードは待ちぼうけを食わされることになったに違いない(氷炎結界呪法がダイ達ではなく姫の護衛を倒すために準備されたものだとしても、それはそれですごい。獅子よりも慎重だ)。それでも準備を怠らないあたり、やはり、フレイザードは凶暴なだけの男ではない(生みの親のハドラーも、一見単純そうで、意外とそういう面がある)。ヒュンケルが探しあぐねていたレオナ姫の居所をあっさり見つけてしまったのもすごい。もしかすると、熱探知のようなことができるのかもしれない。

 氷炎結界の中で大苦戦する羽目になったダイ達の中、唯一冷静に「逃げる」という判断を下すマァム。後にはレオナがこういった判断をするようになるが、現在のこの三人の中では、これができるのはマァムしかいない。しかし、この時は自身の行動に手一杯だったポップが、話が進むにつれ皆をひっぱっていくようになるとは……ポップは人の可能性というものについても、色々と考えさせてくれる。

 ところで、「氷炎結界呪法」は禁呪法であるとマトリフは言ったが、これは、フレイザードによれば、「炎魔塔と氷魔塔がフレイザード自身の核に左右することによって」できるもの。こんな、フレイザードしかできないような呪法を、なぜ人間であるマトリフが知っているのか疑問だが、おそらく本来はもっと小規模(一部屋ぐらい?)なものなのだろう。それならあんな大きな塔を建てなくてもいいだろうし、核も、べつに禁呪法生命体のものでなくてもいいのかもしれない。また、ヒュンケルとクロコダインが躊躇いなく塔を打ち砕いたことから、二人のうち最低でもどちらか一人はこの呪法について知っていたと思われるが、二人とも呪文は使えない。可能性としては、ヒュンケルがアバン先生かミストバーンに教わったというのが一番ありそうに思える。もちろん、敵にこれを使われたときに対処できるように。しかし、そんなことまでわざわざ教わっていたとするなら、この呪法は禁呪法の中でもわりとメジャー(?)な部類に属するのかもしれない。

 氷炎結界の前に一度退却することになったダイ達だが、マトリフと出会えたのは収穫だった。アバン先生も、勇・戦・僧・魔の典型パーティーだったらしい。……ニセ勇者達とはだいぶ違うけれど。しかしマトリフは、すっかり人間嫌いになっていた。全巻読んだ後にここをまた読むと……場合によってはいずれポップも同じ道を辿る可能性があるのではないかと一抹の不安が。そういえば、性格も似ているし。

 マトリフとの修行で早くもルーラを会得するポップ。ポップは最初「ルーラなんて覚えても戦いの役にはたたない」などと言っていたが、その後ルーラは大活躍。なくてはならない必須呪文に。実際DQでも、もしもルーラがなかったら、冒険がどれだけ大変になることか……。

 それにしてもマトリフは、なぜトベルーラでバルジ島へ行こうとしなかったのだろう。
 それに、魔弾丸にギラなどではなく、もっと強力な呪文……それこそベギラゴンやイオナズンをつめておいてくれたらだいぶ戦いが楽になっていただろうに。
 まあ、マトリフはそれまで深刻な人間嫌いに陥っていたし、間違いなく崖に突き落として弟子を育てるタイプなので、この戦いで皆を成長させると同時に、試してもいたのかもしれない。

 バルジ島に乗り込んだ一行は、塔を破壊するために、二手に分かれることに。どう考えてもバダックよりもエイミの方が役に立つような気はするが、たまたまダイ達の相手に妖魔士団がいたことを思うと、これはこれでよかったのかもしれない。
 最初は数の多さにやや苦戦するものの、クロコダインの登場で一気に形勢は逆転する。やはりクロコダインは強かった。

 もっとも、この時のミストバーンはビュートデストリンガーも使っていないし、ヒュンケルやロン・ベルク相手の時に比べ、明らかに手を抜いている。この後、フレイザードを使ってダイの力量を測ったことといい、ミストバーンはダイをただ倒すのではなく、あわよくば味方に引き入れるか、後に自分の肉体として使用するか、何らかの方法でダイを利用することを考えていたのではないかと思われる。

 ダイとクロコダインの方は、ミストバーン&ザボエラがあまり積極的ではなかったせいもあって、あっさりと片がついたが(あの妖術師は気の毒だった)、ヒュンケルとハドラーの戦いは実に見ごたえがあった。
 ヒュンケルの鎧は呪文を無効化するので、打撃での一騎打ち。ボス戦において「呪文無効」というのは大変素晴らしい特典。その効果がここに、遺憾なく発揮されている。
 戦いはほぼ互角だったが、ハドラーの計略にかかったヒュンケルは一瞬の油断をつかれ、身動きのとれない状態に。しかし、これがきっかけでグランドクルスを会得することができた。この先、何度この技に助けられることだろう。その威力は凄まじく、メドローアにも匹敵するのではないかと思えるほどだ。こんなものの直撃を受けても即死しなかったラーハルトのすごさを改めて感じる。ハドラーも悪運強い。ヒュンケルも、この先何度も死にかけては蘇るが、ハドラーも相当なものではなかろうか。

 それにしても、作り手のハドラーが絶命したというのに、なぜフレイザードは死ななかったのだろうか。ハドラー親衛騎団は、ハドラーが死ねば生きながらえることはできない、という設定だったはず。作り方が違うのか、それとも、この時のハドラーは、まだ完全には死んでいなかった(蘇生可能な状態)からか。フレイザードには色々と謎が多い。

 ともあれ、禁呪法を解いた一行は合流し、フレイザードに立ち向かう。空裂斬なしには倒せない相手で、これを機にダイは空裂斬を会得。真のアバンストラッシュを完成させる。
 このフレイザードを見て思い出すのは、DQ4のベロリンマン。あれが四体ではなく何十体にも分裂して一斉に全体攻撃を仕掛けてくるのだとしたら、大変恐ろしい相手だ。ヒュンケルやクロコダインも苦戦していたが、他の軍団長でもフレイザードには結構苦戦するのではなかろうか。強敵だったしそれなりに存在感もあったが、最期は気の毒だった。

 その後魔弾銃の力によりレオナも無事救出。しかし、かわりに魔弾銃は壊れてしまう。
 ……ここでふと思ったのだが、魔弾銃を使うのではなく、フレイザードにやったみたいに弾そのものをぶつけるわけにはいかなかったのだろうか。そうすれば魔弾銃は無事だったはずだ。とはいえ、そうすると狙った通りに威力を放つのは難しくなるし、万一失敗したら元も子もない。少しでも救出の可能性を高めた結果が魔弾銃の破損だったのだろう。マァムの決断で、レオナを救うことができた。

 このフレイザード戦では、パーティーの皆が力を合わせて目的を遂げた。本当に、誰一人欠けてもレオナ姫救出はできなかった。パーティーの重要性を感じたのも、このフレイザード編である。
 ここで、それぞれの功績を列挙してみよう。

 

<ダイ>

・一度目の対戦において、殺されそうになったレオナを間一髪で救った

・爆弾岩の群れに突っ込んでくるフレイム達をバギで足止め

・空裂斬を会得し、フレイザードを倒した

・アバンストラッシュでアーマードフレイザードを倒した

・ベギラマを魔弾丸に詰め、レオナの命を救った

<ポップ>

・ハドラー相手にマァムを守り、一定時間踏みとどまった

・爆弾岩の群れに突っ込んでくるフレイム達を呪文で一掃

・ベギラマでフレイザードの氷の半身を消滅させた

<マァム>

・一度目の対戦において退却を主張。パーティーを全滅から救った

・退却の際、ダイをうまく連れ出した

・魔弾銃で、フレイム達を一掃するのを助ける

・魔弾銃と引き換えに、レオナの命を救った

<ヒュンケル>

・氷魔塔を砕いた

・殺されそうになったマァムを間一髪で救った

・ハドラー及びその親衛隊を倒した

・ダイにフレイザードの倒し方についてアドバイスをする

・ダイが空裂斬を会得できるよう手助けする

<クロコダイン>

・炎魔塔を砕いた

・妖魔士団と魔影軍団を退けた

・殺されそうになったマァムを間一髪で救った

<ゴメちゃん>

・ダイを、ミストバーンの闘魔傀儡掌から救い出した

 

 こうして見ると、ダイとヒュンケルの存在が非常に大きい。クロコダインも大活躍で、豪快に敵を蹴散らす様は、見ていて気持ちよかった(しかし今思えば、これが最後の大活躍だったのかもしれない……)。ポップは目立った活躍はないものの、要所要所では魔法使いならではの働きを見せており、今後が期待される。
 しかし、それらに比べると、マァムは戦力的に殆ど役に立っていない。一回目の戦いでは冷静な判断と魔弾銃でパーティーを全滅から救ったものの、二回目の戦いではむしろ足を引っ張ることの方が多かった。魔弾銃をなくした後、武闘家への転職を考えたのは正解だったかもしれない。(もっともマァムの場合、直接的な戦力というよりむしろその言動にこそ意義があるといえる。ヒュンケル編もマァムがいたからこの展開になったのだし、バラン編もマァムがいたらもう少し違う展開になっていたかもしれない)

 このフレイザード編も結構長かったが、中でも一番心に残ったのは、ベギラマでも空裂斬でもなく、回想でクロコダインがヒュンケルに「たとえ生き恥をさらし万人にさげすまれようとも、己の信ずる道を歩めるならそれでいいじゃないか…」と語りかける場面だった。心に深く沁み入ってくる。これは、後にヒュンケルの回想でアバン先生が言ったこととよく似ており、ヒュンケル自身もこれを受けて、「たとえ泥をすすってでも己に課せられた使命を果たす」と口にしている。似ているようで微妙に違うが、この二つはヒュンケルのその後の生き方をよく表しているように思える。

 ちなみに、この戦いの後、初めてキルバーンが登場する。この時、ミストバーンは彼のことをなぜか「キルバーン(「キル」ではなく)」と呼んでいたが、これはやはり、他の軍団長やハドラーに、自分が特別な立場にいるということを知られないようにするためだろうか。(もっとも、その後すぐ「キル」と呼びかけていたが。これはキルバーンが親しげに話しかけてきたので、知らないふりは装えないと考えたためだろう)。

<バラン編(第九巻〜第十二巻)>

 マァムとレオナのメンバー交代。ヒュンケルとクロコダインも一時パーティーを離れ、また違った雰囲気に。中心にダイとポップがいるのは変わらないが、やはりメンバーが変わるとパーティーはもちろん作品の雰囲気も少し違って感じられる。
 この時、ポップがマァムに「すばらしい仲間なんだから」と言ったのには正直拍子抜けしてしまったが、同時に感動もした。本当の気持ちは言えなかったものの、それもまたまぎれもない本心であったろうから。

 武器を探しに行くダイ達。買い物は本家DQでも大きな楽しみの一つで、それはこの「ダイの大冒険」でも変わらなかった。デパートで色々な品を見て回り、エレベーターの仕掛けに驚いたりするダイ達を見るのはとても楽しかった。その時は、まさかこれがあんなにも激しい戦いの幕開けになるとは思いもしなかった。

 戦いの幕開けは、ドラゴンとヒドラで、バランに比べれば可愛い相手だが、それでもダイ達にとって楽勝とはいかなかった。

 これまで三人もの軍団長を倒し、魔王軍の総攻撃をもはね返したダイ達も、ベンガーナではドラゴン数匹に苦戦。それだけフレイザード編でのヒュンケルの存在は大きかった。この時ダイがちゃんとした武器を装備していなかったというのもあるだろう。また、ポップはこれまでずっと補助的な役割を担ってきたが、このバラン編からは、主戦力として活躍していくことになる。軍団長との戦いでは、一人を相手に複数(チームワーク)で戦っていたが、このドラゴン達が相手の時は、一対多数の戦いになったため、勝手が狂ったのかもしれない。なんにせよ、ドラゴン数匹に苦戦している今のダイ達に、その軍団長と戦うのは酷な話だ。

 ダイがドラゴンキラー(嫌な奴ではあったが、商人が少し気の毒。大金を出して買ったのに、あっという間に灰に……)を拾ったことと、紋章の力が発動したことで、ドラゴン達は一掃される。これは「紋章の力さえ出せればダイは最強」という考えと、無意識にそれに頼る気持ちを改めて認識させたが、それと同時に、今回初めてその力を「怖ろしい」と感じさせた。ダイは、初めて感謝されなかった。向けられるのは、恐怖のこもった冷たい眼差しだけ。ポップでさえ、ダイの力に戸惑いを隠せなかった。しかし、ポップはダイを避けたりはしなかった。最初は怖れを抱きつつもダイに駆け寄り、次には自分がそんな感情を抱いたことすらも忘れて、「ダイはダイ」だと、また元のように接するようになる。
 人は、恐怖をはじめとする様々な負の感情を抱く。それを防ぐことはできないが、克服していくことは可能かもしれないと、ポップの姿は希望を抱かせる。

 ベンガーナでの戦いの後メルル達も加わって、竜の騎士について知るために、テラン王国へ訪れた一行。必死にドラゴン達を倒したのに、感謝されるどころか、怖がられてしまった。人々の視線が重くのしかかる。それでも最終的に人間を好きだと言えるダイの姿が眩しく、同時に痛々しい。

 バランと出会い、ダイはアバンストラッシュを放つが、バランにはまったく通じなかった。しかも、驚くべきことに、この時のバランは、紋章を出していなかったのだ。あの鎧(?)の防御力が、よほど高かったのだろうか。
 アバンストラッシュの威力は、アーマードフレイザードとの戦いで証明ずみだが、それすらも通じない。全くダメージを与えることができないのに、相手の攻撃は凄まじく、防御の術もない。バーン戦と並ぶ、絶望的な状況。「画面真っ赤」とは言い得て妙だと思う。

 クロコダインが救援に駆けつけるが(毎度思うのだが、ヒュンケルといいクロコダインといい、どうして仲間のいる場所がわかるのだろう。リリルーラにかわる道具のようなものを持っているのだろうか)、それすらも全く相手にはされなかった。
 この時クロコダインは、「生きとし生けるものには全て太陽が必要なのだ。それを奪おうとする者は断じて許せん」と言ったが、今、あらためてこのセリフを見てみると、それが大魔王バーンとまったく同じ動機であることに気づく。本当に、この作品は奥が深い。

 呪文も、クロコダインの剛力も、アバンストラッシュすらも、バランにはまったく通用しなかった。しかし、復活したダイとクロコダインの同時攻撃で、なんとかバランにダメージを負わせることに成功する。だがこれは、事態のさらなる苦難を呼び起こし、ダイは記憶を消されてしまう。

 記憶を失ったダイは、デルムリン島にいた時よりもさらに幼く、本当に小さな子供のようになってしまった。ダイはポップと違って、何かを怖がっている様子というのはあまり見せていないが、こうして子供返り(?)した時には、それを見せている。本当に、普通の子供になってしまった。それでも、ゴメちゃんを見て「友達になってよ」というのは、かつてダイが言った言葉と同じで、ダイの「純粋」であるところの本質は変わっていないのではないかと思わせる。

 クロコダインとポップは、ダイが記憶を失ったことで、戦うことができなくなったという事実を重視し、次のバランの攻撃にどう備えるかに頭を悩ませていたが、レオナは違った。ダイが記憶を失ったという事実そのものが、何よりも痛かったのだ。レオナはこういう場合、真っ先に現実的対処を考えなければならない立場で、実際そういう行動をとることも多いが、この時レオナの頭にあったのが、「ダイが戦力にならない」という現実的問題ではなく、ダイの記憶から自分(達)が消えてしまったという事実であったことが、レオナのダイへの思い入れを表しているようにも思える。それでもすぐさま現状を把握し立ち向かっていくところに、レオナの強さが見て取れる。

 ダイが戦力にならない、というこの絶体絶命の危機に対し、ポップは自分ひとりで竜騎衆に立ち向かうことを決意。冒険王ビィトに「何度でも立ち上がり強くなる人間は目が違う」というセリフがあったが、この時のポップはまさにそれ。クロコダイン戦の時もそうだったが、たった一人で、強大な敵に立ち向かっていく。こういう場面に、ひどく心を揺さぶられる。

 しかし、流石に竜騎衆は手ごわく、ポップも絶体絶命のピンチに陥る。その窮地を救ったのがヒュンケルだった。

 一気に戦況を逆転させたヒュンケルは、ラーハルトと一騎打ちに。剣対槍、というのもなかなか見物ではある。ラーハルトが最初から本気を出していたら、ヒュンケルに勝ち目はなかっただろうが、前半は結構手を抜いていたためヒュンケルは死なずにすんだ。
 ラーハルトは「獅子は兎を倒すにも全力をつくす」などと発言し、一刻も早くバランのもとに駆けつけねばならぬ立場であるのに、一体どうしてこのような、遊び半分のような戦い方をしたのだろうか。本家DQの敵キャラにもたまに見られることではあるが。
 思えば、ヒュンケルは瀕死のダイに対し「情けだ。介錯をしてやろう」と言ったが、ラーハルトは瀕死のヒュンケルに対し、「とどめは刺さぬ。そのままもがき苦しんでゆっくり死ね」と言った。これは性格の違いなのか、それとも相手への憎しみの深さゆえか。もし後者だとするなら、ラーハルトが最初からヒュンケルに本気でかからなかったのも、単にヒュンケルに興味を持ったというだけではなく、人間への強い憎しみ故に、「じっくりいたぶってやろう」とか「人間なんぞに本気を出してたまるか」といった意識が働いていたからなのかもしれない。
 また、ラーハルトは「呪文はさほど得意ではない」と言っていたが、ということは、ラーハルトは、得意ではなくとも呪文を使うことはできるのだろうか。ホイミとか、メラとか、リリルーラとか……。そういえば、竜の血で蘇ったポップは体力が万全ではなかったが(おそらく、竜の血の効果はザオラルなのだろう)、復活したラーハルトは準備万端に見えた。城に駆けつけるまでに回復したのかもしれないが、その際ホイミを使ったという可能性も……。

 今では鎧の魔槍はすっかりヒュンケルになじんでいるが、それでも、こうして二人の戦い方を比べてみると、ラーハルトの熟練ぶりがよくわかる。
 ラーハルトは手甲を投げてヒュンケルの攻撃をかわすなど、鎧の魔槍の機能をフルに使って戦っている。これに対し、後のヒュンケルは、危険であることを証明するために胸の手裏剣をちょっと投げてみた、という程度の使い方しかしていない。

 しかし、ラーハルトは一体誰に槍を習ったのやら。最も可能性が高いのはバランだが……だとすると、改めてバランのすごさを感じる。そして、今のラーハルトは、スピードならばバランをも上回る存在に。バランも、ラーハルトと戦ったとしたら、なかなか倒せないのではないだろうか。

 戦いの中、ラーハルトによって語られる、バランの過去。バランはなんとなく、過去を人に語らないようなイメージがあるので、それをラーハルトに話したというのは、二人が(血のつながりはなくとも)親子で、ラーハルトは確かにバランの「もう一人の息子」だったのだと思わせる。
 ダイの母・ソアラが人間(それも実の父親を含む)によって殺されたという事実。それも、実につまらない理由で。ソアラは「人間は臆病なだけ」と言ったが、それが他者への攻撃となって現れる時、それはこんなにも醜く、恐ろしい。(これはDQ7のレブレサック編にも顕著だが)

 ニセ勇者編やヒュンケル編など、勇者の姿を逆の視点から捉えたエピソードはこれまでにもあったが、人間側の醜さが際立ち同情の余地がない点、この話はDQ4のピサロとロザリーを髣髴とさせる。

 その頃、城ではレオナとクロコダインが、必死に敵を足止めしようとしていた。クロコダインが攻撃を受け(クロコダインはひたすら「ぼうぎょ」)、レオナが回復。ゲーム中でもこういう組み合わせは、敵として出て来られると、結構鬱陶しい。バランもまさしくそんな思いだったのか、攻撃対象をレオナに変更。しかしそこに現れたのがヒュンケルとポップ。レオナの窮地を救い、一見形勢は逆転したかに見えるが、よく考えてみると、特に状況は好転したわけではない。バランに対し戦力になりそうなのはヒュンケルとクロコダインぐらいだが、二人とも傷を負っているし、たとえ完全な状態であったとしても、バランが圧倒的に有利であることにはかわりない。

 それでもバランは竜魔人に変化した。ヒュンケルの言葉がよほどバランに影響を与えたのだろう。
 ちなみに、このときバランはレオナをバギで一瞬足止めするが、使える呪文がバギ系とデイン系(無論、他にもまだ色々使えるのだろうが)、というあたりは、やはりダイと親子なのだなあと思う。

 絶体絶命の危機にポップはメガンテを唱える。あの時のアバン先生と同じことをしたのだ。卒業のしるしも、もう「仮免」ではなく、立派な免許皆伝だ。
 ところで、「僧侶以外の者がメガンテを使うとその肉体は砕け散る」とポップもバランも言っていたが、メガンテを使った後も、ポップは五体満足のままだった。これはたまたま運がよかっただけなのか、ポップに賢者の素質があった(この時既に、回復呪文の契約だけはすませていたと思われる)からなのか。
 そういえば、場合によっては、ポップは復活することなく物語が終わる、という展開もあり得たのだとか。それを考えると恐ろしい。

 メガンテは結局バランには通じなかったが、それを目にした衝撃で、ダイは記憶を取り戻す。「臆病だけど一生懸命頑張って正しいことをしようと努力している……それがこいつだったのに」と悲しむダイ。これは後にメルルも言っていた、ポップの本質をよく言い表している。ずっと一緒に旅してきたダイには、わかっていたのだ。ポップのことが。後の輝聖石のエピソードでは、ポップは色々と苦しむことになるが、ポップ自身も気づいていなかったその本質を、少なくともダイとメルルは見抜いていた。そのことに、アバンの使徒の確かな絆を感じて、何だか嬉しかった。

 バランとダイが戦いを始めたため、城の前は少し安全になった。レオナに駆け寄るメルル。ここで、ポップではなくレオナに駆け寄ったのは、少しでも自分にできること(回復呪文)をしようという気持ちの現れであろう。おとなしそうに見えて、結構しっかりしている。

 上空で繰り広げられるバランとダイの激しい戦い。竜魔人と化したバランは完全に我を失い、ダイを殺すことだけを考えて、とどめが刺せたかと思った時には喜びを感じさえしている。これは確かに恐ろしい。終盤、ダイが双竜紋を全開にして戦うことを怖れたのも、もっともである。

 ダイとバランの戦いは空中戦ということもあって、他の面々は殆ど手出しできなかったが、それでも状況を的確に見極め、バランの足止めをしたりダイに武器を貸したりと、それなりに重要な役目を果たしている。彼らの協力なしに、ダイが勝利することはできなかっただろう。バランは独りで戦ったが、ダイには仲間がいて、それがダイを勝利へと導いた。

<ダイ>

・ベンガーナでヒドラを倒す

・最初の戦いにおいて、バランがポップ達にギガブレイクを放つのを防ぐ

・紋章を拳に移動させ、苦闘の末バランを退ける

<ポップ>

・ベンガーナでドラゴン数匹を倒す

・竜騎衆に対したった一人で立ち向かい、ドラゴン四匹とベルダンディーを倒す

・バランにメガンテを使い、ダイの記憶を蘇らせる

・死してなおバランに呪文を放ったことで、ダイがバランを攻撃する好機を作り出し、ダイを勝利に導いた。

<レオナ>

・最初の戦いで、大ダメージを受けたダイにベホマを使い、体力を回復させる。

・テラン王に交渉し、記憶を失ったダイを城に匿ってもらう

・ダイにパプニカのナイフを渡す

・クロコダインに何度もベホマをかけて時間稼ぎを行う

<ヒュンケル>

・ポップの窮地を救う

・ボラホーンを無力化する

・ラーハルトを倒す

・レオナの窮地を救う

・ダイに鎧の魔剣を貸す

<クロコダイン>

・最初の戦いで、ダイが湖に落とされている間、時間稼ぎを行う

・二度目の戦いで、その並外れた体力を利用し時間稼ぎを行う

・武器を失ったダイに攻撃を仕掛けようとするバランを足止め

 

 ……と、このように、今回の仲間達の功績をまとめてみたが、中でもポップとヒュンケルの果たした役割は非常に大きい。

 そして実際、ポップには大いに助けられた。この竜騎衆にかかっては、テラン城などひとたまりもなかっただろう。ドラゴン達を倒し、その行動力を半減させたことは大きい。特に、スカイドラゴンのルードとガルダンディーは、空を飛ぶだけに、他のメンバー(クロコダインやヒュンケル)には倒しにくかったであろうことを考えると、あらためて、ポップがなくてはならない存在になったのだと感じる。フレイザード戦の時もそれなりに活躍はしていたが、まだあの時点では、三賢者でも十分かわりが務められるのでは、と考えられなくもなかった。だが、今度は違う。ポップはなくてはならない存在になった。戦力としてはもちろん、ムードメーカーとして、「クールな」魔道士として。これは、ポップにしかできない戦い方だから。

 ところで、ポップの魔法力について、一つ腑に落ちないことがある。ポップはベンガーナでドラゴン達を相手にしたとき、ベタンを一発放っただけで、トベルーラも使えなくなるほど一気にMPを消耗してしまっていた。だが、この竜騎衆との戦いでは、ベタンを一度放った後、他にも何発も呪文を打っていた。ガルダンディーの羽でMPを消耗していっているのに、である。これは一体どういうことなのだろうか。そんなに短期間で、ここまで最大MPが一気に上昇するものだろうか。確かに、一度のレベルアップで20P近くMPが上昇することはある。ごく稀にではあるが。一度目のバランとの対戦で、いくつもレベルアップしたのならば、あり得ない話ではないのかもしれない。だが、この時ポップは、バランに一度ベタンを放った後は、殆ど見ていただけだった。この戦いで急激なレベルアップを遂げたとは、どうしても思えない。ベンガーナでの戦いからこの竜騎衆との戦いまで、そこまで間があったわけでもないし、一体なぜなのだろう。あと考えられるは、テランという土地がそうさせたのではないかということだ。テランは神秘の国。あの土地や湖に、魔力を高める効果があったのではないか。体力が回復する泉があるのならば、魔力の上昇する湖があっても不思議ではない(もちろん、回数制限などがあるだろうけれど)。

 ヒュンケルの功績は言うまでもない。いつでもとても頼りになる味方である。

 クロコダインは盾としての役割が大きい。地味だけど、こういう人が一人いると助かる。

 レオナはベホマ係。基本的に、「ダイの大冒険」では、女性を積極的に攻撃しようとする敵キャラがあまりいないため、防御力が低くてもあまり心配はいらない。これも地味な役目ではあるが、いなくなると、ものすごく困るのだ。ダイを守り、ポップとヒュンケルが攻撃に徹することができたのも、クロコダインとレオナが時間稼ぎと盾の役割をしてくれたからえ、そう考えると、二人の果たした役割は大きい。

 本当に「みんなの力で」ダイを守ったのだ。

 

 勇気がポップの苦悩の上にこそ光るように、人間の素晴らしさといったものも、人間の醜さを描いてこそ際立つものだ。ダイの大冒険ではそのどちらをも描写しており、改めて素晴らしい作品だと思った。


 キリ番59000を取得して下さった、美葵様に捧げます。

 リクエストは「ダイの大冒険(バラン編まで)について」ということでしたが、書いているうちに内容にばらつきが出て、とりとめのないものになってしまい……おまけに大変遅くなりまして、申し訳ありませんでした。少しでも楽しんでいただけるといいのですが。

 リクエストして下さって、ありがとうございました。

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追記:尚志様より、ドラクエの王様からは結構いいものをもらっているという指摘をいただきました。言われてみれば、確かに天空装備の多くは王様から入手していますし、その他にも結構貴重なものをもらっていたりします。ご指摘ありがとうございました。

 

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