セフィーロへの「道」
第二部において、オートザム・ファーレン・チゼータの国々は、セフィーロ侵攻にあたり、そこに至る「道」を作った。
「『道』を通って他国の者たちはセフィーロに自由に侵入できる」
のだという。
逆に言えば、他国からセフィーロに侵入するには、「道」が必要だということだろう。
しかし、本当にそうだろうか。
以前からランティスやカルディナのような旅人は存在していたようだが、彼らが国から国へ渡る際に、一々「道」を築いていたとは思えない。
それに、
ただ、イーグルやアスカなど、「道」を創っているものの精神集中がとけた時など、「道」の後退と共に、否応なくその乗り物も後退していたことは見過ごせない。それも、空気の抜けた風船のように、かなり早いスピードで。
それを思うと、「道」の中でしか人が存在できないようにも思えるー。
この二つの事柄を、どう考えるべきか。
ランティスや
FTO など、個人の移動ならば支障はないが、戦艦のように、それなりの人員を要するものの移動には、道が必要だということなのだろうか。人の足でなら、道なき森を進むことができても、車では進めないように。
ただ、それがどれだけの規模のものになると「道」が必要になるのかは、わからないが。
少なくとも、それなりにまとまった人員を移動させようと思ったら、「道」が必要なのは確かだろう。
そしてそれは、セフィーロへの移動に限ったことではあるまい。
なぜなら、セフィーロとは全く交流がなかったであろう三つの国が、そこに至るには「道」が必要だと知っており、実際にそれを築いていたからである。
もしそれまで一度も創られていなかったのなら、そんなに簡単に「道」がーそれも三国揃ってー創れるとは思えない。
ということは、この世界では、もしよその国に攻め入ろうと思ったら、必ず「道」を築く必要があるということになる。
もしくは、個人単位で少しずつ人を送り込み、ある時期まで潜伏させておいて、一斉蜂起という手段をとるか。
しかし、後者はやたら時間と手間がかかる上に、危険も大きいので、やはり普通は前者だろう。
タトラは、セフィーロについて、「長く平和だったために軍隊があるわけではない」と言ったが、その口ぶりからすると、他の国はそこまで平和ではなく、それなりに軍隊がある、と言っているように聞こえる。
「道」を創れる者が少ないことを考えると、そうそう戦争を起こせるとも思えないが、現に起きているとすれば、近距離ならば、「道」を創ることは、そう難しくない、ということなのかもしれない。
さて、そしてセフィーロへと続くこの「道」は、
「エメロード姫亡き後、他国からセフィーロへの「道」が開いてしまった」ものだという。
つまり、それまでは、他国とセフィーロを結ぶ「道」はなく、旅人以外は行き来するものもなかったということだ。
「セフィーロに悪意を持って侵入しようとするものすべて見えない壁に阻まれ入国できない」という理は、誰でも通れる「道」の存在を受け入れることはできなかったということなのだろう。
エメロード姫がいた頃は、それでセフィーロへ通じる「道」は築くことができず、セフィーロは長く平和を保たれていた。
光の願いにより生まれ変わったセフィーロでは、他国の人々が自由に行き来できるようだから、恐らくこの「道」は開かれたままなのだろう。それは、悪意を持って侵入するものを拒むことができないことをも意味するが……。
それはそうと、この「道」には味方しか入れないようになっているようだが、それならば、セフィーロに侵攻する際、彼らはわざわざ魔法騎士を迎え撃つ必要はなかったのではないだろうか。
どうせ、魔法騎士達に「道」を止めることはできず、また外から道の中に攻撃を加えることもできないのだから。
魔法騎士達も、これではわざわざ出撃する意味がないだろう。
「道」を止めるには、イーグルがやったように、別の「道」でそれを貫くしかないようだし、ならば、そもそも「道」を創っていない魔法騎士には、これらの「道」を阻止することは不可能である。
まあ、三国の方は、戦いを楽しんでいるところがあるし、いずれ戦うことになるのだから、今力を見ておこうという気持ちもあったことだろう。
しかし、魔法騎士の方には、それがない。
幸い三国が戦う相手をさし向けてくれたからよかったものの、もし相手が魔法騎士達を無視して進み続けていたら、手の打ちようがなかったはずだ。
これは、魔法騎士達の中に、道を貫くほどの心の持ち主がいないかどうかするために、魔神がーひいてはモコナが仕向けたことではないかと思える。
魔法騎士達は、「道」のことを知ってからまだ日も浅く、「道」を食い止める手だてを知らないのも無理はないが、創生主であるモコナと、その配下である魔神が、「道」について知らないはずがないのだから。
2006.6.8