それぞれの描く未来

 

 

 光、イーグル、ランティスの三人は、セフィーロの柱制度をなくしたいと願い、(イーグルはそれが第一の目的ではないが)行動を起こした。

 しかし、柱制度をなくしたいという思いは共通していても、その手段は異なる。この違いがどこから生じたのかを、ここでは少し考えてみたいと思う。

 まず、3人の具体的目標と、それぞれに生じるであろう結果をまとめてみた。

 

ランティス

願い

セフィーロから「柱」をなくす

具体的目標

「柱への道」を破壊する

理由

二度と悲劇を繰り返さないため

結果予測

新しい「柱」が誕生しないため、セフィーロは崩壊し、消滅する。

 

イーグル

願い

  • ランティスの死を防ぐこと
  • 自分とともに、このセフィーロの歴史を終わらせること

具体的目標

自分が新たな「柱」となり、セフィーロを永遠に眠らせる。
(セフィーロに住む人々は全て隣国へ移す)

理由

  • ランティスを死なせたくないから
  • 二度と悲劇を繰り返さないため

結果予測

詳細は不明。
入国した者は、全て眠ってしまう……?

 

願い

大好きな人達と、セフィーロで生きて幸せになること

具体的目標

自分が「柱」となり、「柱制度の消滅」を願う

理由

もう二度と誰も犠牲にしたくないから

結果予測

セフィーロを愛する皆で、「柱」のない「本当に美しい国」を作ることができた。

 

 

 「柱」をなくすために「柱への道」を破壊する、というランティスの考えは、ひどくシンプルで、わかりやすい。

 しかし、これだとセフィーロが消滅してしまうのは、ほぼ確実。

 彼は、光のように、自らが柱となり、「柱のないセフィーロ」を築こうとしなかった。これは、なぜだろうか。

 一つには、「柱」に対するマイナスのイメージが強すぎるあまり、自らが柱になるなど考えもしなかったというのがあるだろう。

 また、ランティスは、己の死を賭けてまで、「柱」制度の消滅を願った。既にセフィーロには、彼に最も近しい二人はいないから、自然と、思考は自分を含めた破壊の方向に向いてしまったのかも知れない。もはや親しい者のいないセフィーロと心中するような気持ちがどこかにあったのでは、という気がする。

「誰よりも強い心で、セフィーロの新たな未来を築かんとする者
 だけが、柱としての資格を持つ」

 とモコナは言ったが、ランティスは「現在」を終わらせることを強く考えるあまり、「新たな未来」を築こうとする視点が不足しており、それがために、柱としての資格を持てなかったのではないかとも思う。

 一方光は、まず「大好きな人達と生きて幸せになりたい」という未来を描いていた。セフィーロには、光の好きなたくさんの人達がいた。だからこそ、誰もー自分を含めた誰も犠牲にしたくない、と強く願った。そんな背景のもと、思考は自然と「破壊」ではなく「創生」に向かう。

 つまり、セフィーロで幸せになりたいという思いの多寡が、この発想の違いを生んだのだと思う。

 

 それは、おそらくイーグルにも言えるだろう。

 彼の具体的目標は、まさしくセフィーロと心中することにあった。

 既に不治の病に冒されていたイーグルが、「生きて幸せになる」という視点を持てなかったのは、無理からぬことであろう。

 しかし、ただランティスを死なせたくないというのならば、「ランティスより先に柱への道を破壊する」という手段をとってもよかったはずだが、それはせずに、「僕はセフィーロの柱になるためにこの国に来たんです。だから…あなたに柱への道を破壊させるわけにはいかない!」というのはなぜだろうか。
 なぜイーグルは、「道」の破壊ではなく、「柱」になることを選んだのか。

 これは、

「己の命があとわずかだと知った時、誓ったんです。
 自分の人生の終わりは自分で決めようと」

というイーグルの言葉に関係があるのかもしれない。

 イーグルは、「自分の人生の終わり」をどうするか決める必要があった。
 だから、セフィーロに関しても、自然と「どのように終わらせるか」ということに思考が傾いたのだと思う。
 ランティスは「柱」を(セフィーロもろとも)終わらせようとした。
 これに対し、イーグルは、「セフィーロ」を(柱もろとも)終わらせようとした。

 やはり、二人はよく似ている。しかし、同じではない…。

 それに加え、イーグルには、セフィーロを消滅させるのはしのびないという気持ちもあったのではないか。なんといっても、彼はずっとセフィーロの青い空に憧れを抱いてきたのだ。だからこそ、セフィーロを自分の人生の終わりの場所とー自分と共に眠りにつく相手としようと思った。また、ひょっとしたら、「眠りの国」という形ででも、「信じる心が力になる」という不思議な理の仕組みを調べ、オートザムの再生に役立てることができるのではという希望もあったかもしれない。

 セフィーロを「柱」もろとも破壊しオートザムで眠りにつくか。

 それとも、自分が「柱」となりセフィーロと共に永遠に眠りにつくか。

 どちらを選んでも、ランティスの死は阻止できるだろう。

 「柱」にまつわる悲劇も、繰り返さずにすむだろう。

 どちらを選んでも、イーグルの願いは叶えられる。

 あとは、「自分の人生の終わり」をどうするか。

 イーグルは、後者を選んだ。

 彼のセフィーロへの思い入れは強い。

 しかし、それだけではない。

 彼の願いはランティスとよく似ている。

 二人とも、自分の命をかけて「現在のセフィーロ」を終わらせようとしている。

 ランティスは、「柱のあるセフィーロ」の終わりを。

 イーグルは、「セフィーロそのもの」の終わりを目指す。

 この差違が、具体的目標の違いとなって表れたのだと思う。

 

 

 

2006.5.31

 

 

 

戻る

 

 

 

inserted by FC2 system