主人公の定義

 

  「この作品の主人公は誰か?」と問われれば、大抵は一人の名を即答でき

るものだが、作品によっては、判断に困るものも多い。

 例えば、「銀河英雄伝説」。

 帝国側は、ラインハルトが要。その圧倒的な覇気で、ストーリーを引っ張っていこうとする。

 そして、その半身・キルヒアイスの視点で語られていたことが比較的多かったように思う。

 対する同盟側は、ヤンが要。ラインハルトのライバルのような立場で、広い視野を持ち、彼の視点から語られることも多かった。

 そして、さらに一歩ひいて物事を見つめ、成長していくユリアン。

 ざっと思いついただけでも、これだけの人物が候補に挙がる。

 また、「犬夜叉」でも、タイトルは犬夜叉で、一応一行のリーダー的存在だが、物語はかごめの視点から語られている。とりあえず、「主人公はかごめ」と判断される場合が多いようだが、「主人公は犬夜叉」と判断される場合もあるのではないか。

 ……と、このように、判断に困る例は、結構あるのである。

 そもそも、「主人公」とはどのような人物を指すのだろうか。辞書をひいてみると、

 主人公……事件・文学作品・映画などの中心人物。ヒーロー。

とある。

 しかし、この「中心人物」がまた曲者である。

 単に「出番が多い」ということなのか、それとも最も目立つ人物ということなのか。

 さらに言えば、その人物の視点で語られているーということなのか、それとも最も目立つ、リーダー的存在のことなのか。

 そもそも、視点の役割と、ヒーロー的役割は、相反するもののように思う。ヒーロー的役割を背負う人物は、それなりに魅力がなければならないから、何か一つ、常人よりも飛び抜けているものを持っているのが普通である。能力面だけでなく、普通とはちょっと違う思考法をする場合も多い。そして、作品の担い手として、何よりもまず、物語を引っ張っていく力が求められる。それに必要なのは、冷静さよりも勢い!立ち止まって考えるよりもまず行動!主人公に、熱血漢や直情径行のタイプが多いのは、このためだろう。

 対して、視点の役割を背負う人物は、むしろ一歩ひいて、全体の事象を客観的に見つめることが求められる。間違っても、先頭に立って突っ走ったりしてはいけない。あくまでも冷静に、ヒーローをはじめとする面々を見つめなければならない。また、その人物は、読者と同じような視点を持たなければならない。一人称の小説などが顕著な例だが、基本的に、読者は、その人物を通して物語を見ることになる。ゆえに、思考法が一般とかけ離れていたりすると、読者が作品に入りにくくなるおそれがあるのだ。能力も、別に傑出している必要はないから、せいぜい「ちょっとカンが鋭い」といった程度の特技?しかない場合も多い。

 読者の目―すなわち、最も感情移入しやすいということで、後者の「視点の役割を担う人物」が主人公とされる場合が比較的多いように思うが、必ずしもそうとはかぎらない。

 例えば、「怪盗ルパン」の主人公はルパンであろうが、叙述トリックに使用された一人称の話などを除いては、大抵、第三者の視点によって語られている。「シャーロック・ホームズ」についても、ワトソンが主人公だという話はあまり聞かない。

 これらの場合は、「最後にあっと言わせる」ために、「タネを知らない普通の人」の視点から進める必要があるのはむろんだろうが、それぞれのヒーロー的役割を担う人物が、常人よりも頭脳において飛び抜けているー思考法がやや異なるという設定であるから、彼らの視点から書いたのでは、読者が話にさっぱりついていけなくなる、という理由もあったと思われる。

 このような場合は、ヒーロー的役割の人物がいないと話を進められないのと、視点の役割を担う人物が、比較的自分の主観や感情を交えないようにしているのとがあいまって、主人公は、このヒーロー的役割を担う人物、とされることになるのだろう。それぞれの役割を徹底した結果である。

 しかし、大抵の場合、このような役割はそこまで徹底されてはおらず、「ヒーロー的役割を担う人物」と「視点の役割を担う人物」が同一である場合が大半である。また、「ヒーロー的役割を担う人物」がいない作品も多く、このどちらにもあてはまらない場合に、「主人公は誰だ?」と悩むことになるのである。

 両方の役割を同一人物が担う際、「ヒーロー的役割を担う人物」の条件の一つである、「傑出した能力」は戦闘力である場合が多い。これなら、性格・思考は一般的なものでかまわないからであろう。また、最初はその能力も一般と大差ない程度にしておけば、よりいっそう読者が同じ視点に立ちやすくなる。そして、成長し、強くなっていく様子もわかりやすい。この能力が「推理力」などだったりすると、「成長した」というのは非常にわかりにくいし、他にも色々と弊害が生じるのは先に述べた通りである。

 そういう意味では、「名探偵コナン」などは特殊な例かもしれないが、これは小説ではなく、漫画だったからそれほど困難なことではなかったと思う。

 どうも、漫画やアニメにおいては、小説よりも「視点の役割」の重要性が低いように思う。これらにおいては、そのような人物の目を通さずとも、物語をみることができるからである。小説では、たいてい一人の人物がその役割を担い、読者は役割を担ったキャラAの目を通してしか作品を見ることができず、また、キャラA(=自分)はキャラA(=自分)を見ることができないが、漫画やアニメに置いては、客観的にキャラAを見ることができる。実際、漫画やアニメでは、キャラAが行動する際、その思考過程をいちいち明かさずとも不自然ではないし、多少奇異に見える行動をとった場合も、すぐにその説明を加えなくても許される。むろん、主人公の心理描写を全くしないわけにはいかないが、それは小説における場合ほど、作品に占める割合は大きくはない。

 「名探偵コナン」において、最も心理描写がなされているキャラはコナンであり、漫画の主人公としては十分であるが、小説化するならば、より詳細な心理描写が求められることとなろう。

 もっとも、「アルスラーン戦記」のような群雄割拠の作品になってくると、視点・心理描写が特定の人物に集中せず分散しているため、それが集中した場合に比べて、読者は一歩ひいたところからより広い視野で全体を見渡すこととなり、構図としては、漫画やアニメのような感じになる。だから、心理描写の重要性もそれに準じるものとなり、他と比べてそれほど細かい心理描写がなされていなくても、「主人公」とされる場合が多くなる。

 そして、問題の「ヒーロー的役割を担う人物」と「視点の役割を担う人物」が別々の場合だが、「視点の役割を担う人物」にある程度以上の心理描写がなされていれば、8割方(この数字にさしたる根拠はないが)主人公とされる。困るのは、

  (例:「アルスラーン戦記」など)

  (=その人物がいなくなると、作品存亡の危機に立たされる)

 などのような場合である。

 二人ぐらいなら、同一陣営にいれば、「二人とも主人公」ですむが。それ以外の場合だと、さすがにそうもいかない。誰を主人公と捉えるかで、その作品の印象が微妙に変わってきたりするのだから。

 主人公を特定する方法をしては、次のようなものが考えられる。

 の二通りだが、前者は「犬夜叉」などのように、候補が二人で、しかもそれぞれが別々の役割を担っている場合には有効だが、「銀河英雄伝説」や「アルスラーン戦記」のようになってくると、手に負えない。少々面倒だが、このような場合は後者に頼るしかない。

 しかし、ひとくちに重要度といっても、これを判断するのがまた難しい。「この人物がいなかったら作品はどれだけ違うものになっていたか」ということから判断することになるのだろうが……そこには、「特定キャラへの思い入れ」といったものも入ってきたりして、かなり迷う。

 まあ、あまり主人公にこだわるのも無粋というものかもしれないのだが……。

 ただ、「主人公=主役」とは限らないと認識しておけば、

「主人公が人気投票で一位をキープし続けることはできない」という法則も

うなずけるだろうし、その作品をよく知らない人が、自分が捉えていたのと

違う人物を主人公として挙げていたとしても、それほど悲しんだり腹を立て

たりしなくてすむ……かもしれない。

 

 

2003.12.5

 

 

 

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