恣意的解釈

 

 しばらく前の事になるが、「人は死んでも生き返ることがあると思うか」というアンケートを小中学生を対象に行ったところ、「生き返る」と答えた人が予想外に多く、ニュースとなって少しばかり騒がれたことがあった。このアンケートが実施された背景には、その少し前に小学生が同級生を刺殺するという事件があったため、それとあいまって、「最近の子供は命の大切さがわかっていない」だの「最近の子供は空想と現実の区別がついていない」だのといった定番の主張が繰り返されることとなった。

 だが、このアンケートの内容をよく見てみると、その実情は表面的な解答結果から想起されるものとはかけ離れていることがわかる。

 まず、「生き返る」とした人が、その根拠を答える項目で、テレビ、映画、漫画、ゲーム等の割合が多かったという点だが、そもそもこの項目設定自体に恣意的なものを感じないだろうか。
 まず、このようなテーマなのに「宗教関係者から聞いた」という選択肢がないのが問題だし、「テレビ」などという項目もあまりにも曖昧に過ぎ、「テレビで宗教関係者が話しているのを聞いた」「医療関係の番組で見た」「ドラマで見た」などが同一のものとして扱われることもおかしい。第一、テレビをはじめとするこれらのものは、子供の情報源の主たるものであるから、このような分け方をした場合、これらが上位に来るのはある意味当たり前なのだ。

 また、「生き返る」とした理由をよく見てみると、

a.生き返ると信じたい

b.人は死んだら生まれ変わる

c.人は死んだらあの世に行く(あの世で生きる)

d.医者に聞いた

e.科学が進めば可能になる

   …といいったものが主であった。

 aは理由になっていないし、bcは「生き返る」の定義の問題。宗教も絡んでおり、特にどうこう口出しするものではないように思われる。dがちょっとひっかかるものの、おそらく、心臓停止の状態から復活する事を「生き返る」と表すことがよくあるので、この事だろうと思われる。eも、別に信じる人がいてもおかしくはない。古来より不老不死は人間の夢だったし、それにこれは、裏を返せば、現時点では蘇生は無理だと認識している、ということである。

 なんだか、どれもこれも、「生き返る」と答えるために無理矢理こじつけたような解答ばかりである。そういえば、このアンケートでは、「生き返る」と答えた人の割合が小学生よりも中学生の方が多かったということでも注目されたが、このことと考え合わせると、一つの推測が浮かび上がってくる。

 人は、あまりにも簡単な問題を出されると、何か裏があるのではないか、と勘ぐってしまう。小学生よりも中学生の方がテスト慣れしていることもあって、こんな常識的な問いかけを目にした際に、「これは何か裏があるに違いない」と疑った結果、無理にでも通常の答えと反対の答えを書こうとする心理が働いたのではないか。

 このアンケート結果の背景には、このように、様々なものがあったと推測される。だが、このアンケートは、主に結果のみが注目された。「生き返る」とした人の理由などについて、全く触れられていないわけではなかったが、それもお義理程度にとどまり、扇情的な見出しの前にはかき消された。

 これは、先入観というものもあったのかもしれないが、それ以上に、アンケート結果を目にする前からどういう論調で筆を進めていこうか既に決まっていたということなのだと思う。

 そもそも、「生き返る」と答えた人がごくわずかであったなら、このアンケートがこうして取り上げられることもなかっただろう。取り上げられるのは、結果の予測がつかない事柄の場合、予想外の結果が出た場合、論の裏付けとできる場合である。今回の場合、後の2つが当てはまるわけだ。

 基本的に、何かを書いたり言ったりする場合、世間の論調にそれを合わせると非常に楽である。特に、今回のように、特定の対象(この場合は子供)を攻撃するのが主流となっている場合、書き手読み手共に、過激なものをほど好む。共感よりも排除の方が容易であり、また、何かを攻撃する事で、自分は正しいと思えるからである。それ故に、時として人は、それをひそやかな黒い楽しみでもって、書き、読みたがる。

 「最近の子供は命の大切さがわかっていない」など、子供を理解するよりも異質なものと排除しようという論調が支配する中、それを裏付けるような文は、書き手読み手共に、容易に満足を得られることだったのだろう。

 このように、特定の材料を、自分の都合のいいように無理矢理ねじ曲げて使ったり、もしくは、都合の悪い材料は無視して自分に都合のいい材料だけを持ってくるというのは、意外とよくある事なのである。論文などでも、反撃されそうな都合の悪い点は、「長くなるので略」と書いてあったりするのはよく見かける。

 情報というのは、きちんと咀嚼された解釈つきのものの方が、確かにわかりやすくはあるし、時に丹念に味付けされた深い考察に感銘を受けることもある。だが、先入観なしで、生のままの情報に触れることも、また大切なことだと思うのだ。

 

 

 

2005.4.2

 

 

 

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