イラク人質事件について

 

 

 わりと久々のコラムであるが、今回は、今話題になっている、イラクで日本人が人質になっている事件についてー中でも特に、政府と被害者家族のやりとり、それを取り巻く人々―書こうと思う。

 ……実のところ、こういう時事ネタはあんまりここで扱いたくなかったのだが……。

 なんといっても、一歩外に出れば不愉快なことが溢れかえっているこのご時世、「時事ネタ」について触れれば、恐らく9割近くが毒舌になってしまうだろう。また、私があえてここで時事ネタに触れるということは、私と同意見のものをあまり見かけなかった、ということでもある。既に同じような意見が広く出回っていたとしたら、わざわざそれについて書く気にはならないだろうから。

 つまり、ここに時事ネタが載るということは、その8割近くが毒舌で少数意見、ということになると思う。

 そんなものを読んでもたぶん楽しくないだろうし、私としても、不愉快なことについてはあまり考えたくないし……。

 しかし、ここまで大きな事件となると、否応なしに目に耳に入ってくるから困ったものである。それが、自分にとって受け入れられない意見が大半を占めているとなれば、不愉快さはさらに募り、反論してやれないのでさらにストレスがたまることになる。それはなかなか発散されない。少数意見を述べるということは、結構勇気がいることなのである。それが自分のサイトで、相手の反応が全く見えなかったとしても、だ。特に今回のように、DQ7のルーメンやレブレサック……とまではいかずとも、一種異様な空気が充満してる場合は、特に……。

 今回の件に限らず、こういう類の話では、ああいう空気がよく漂っているような気がする。例えば、「漫画の好きなキャラ」とかの話なら、一人だけマイナーなキャラの名を挙げても、不思議がられたり「ふうん」と流されたりする程度だろうが、こういう類の話では、一人だけ違う意見、反対意見を述べたりしたら、なんだか袋だたきにされそうな恐ろしい雰囲気がどこかに秘められている。

 漫画などに関しては「好みは人それぞれ」で通るが、ことこういうものに関しては、「人の意見は様々」ということがなかなか受け入れられないみたいなのである。(まあ、漫画でもなかなか受け入れられない時もあるが……)

 ……まあ、そんなわけで、雰囲気にのまれてなかなか意見が言えない、という面もあるのだが……しかし、これはやはりストレスがたまるのである。それがかなり大きくなり、また事件もまずは一段落したおかげで少々事件のカゲが薄くなったことにも勢いを得て、今回、事件について書いてみることにしたわけである。

 これまでも、書き連ねるうちに内容がだんだん激しくなっていったものがあり、あるいは読んだ人を不愉快にさせてしまったかもしれないが……先にも述べたように、このような事柄に関しての意見は、漫画などに関する意見よりもさらに、人を不愉快にさせてしまいやすい怖れがある。もし、この先を読まれるのなら、ご注意してお進み下さい。

 ……と、ずいぶん前置きが長くなってしまったが、そろそろ本題に入りたいと思う。

 

 いきなりだが、私は今回の件で、小泉首相が嫌いになった。事件前は、「気にくわない」程度だったのだが、「嫌い」にまで進んだのである。それはむろん、事件への対応を見てのことで、あれがもし本心をそのまま露呈しているのだとしたら、あまりにも幼稚で傲慢、大人げないし、計算づくのことだとしたら、政治家として大したものだが、それは当然道義にもとる行いであり、嫌いである。

 もう少し詳しく説明しよう。

 まず、前者の場合―本心をそのまま露呈しているのだとしたら。一連の件は、次のように捉えることができると思う。

―――――――――――――――

(犯人:「三日以内に自衛隊を撤退させないと、人質を全員生きた

    まま焼き殺す。」)

被害者家族(以下・被):「なんとかしてくれ、助けてくれ」

           「見捨てないでくれ」

日本政府(以下・政府):「自衛隊を撤退させる理由はない」

被:「なんだと、見捨てるつもりか」

  「そもそもこんなことになったのは、そっちが自衛隊を

   派遣したからだろう」

  「こんなことになったのはお前のせいだ」

  「自衛隊を今すぐ撤退させろ」

政府:「人がせっかく助けてやろうとしてやっているのに、

   なんという言い草だ」

   「一体何様のつもりだ」

   「そもそも危険を承知で行ったんだから、こうなったのは

    本人の自己責任、そして行かせた家族の責任だ」

   「そうだそうだ、こっちはちゃんと退避勧告したんだから、

   それを無視した奴が危険な目にあったって、助けてやる義理

   なんかないんだ、自業自得だ」

   「救出費用にも、一体いくらかかったと思ってるんだ」

――――――――――――――――

 ……とまあ、大体こんな感じになるだろう。両方ともかなり感情的になっている様子が見受けられると思う。

 被害者家族が感情的になるのは、まあ、仕方のないことだと思う。このような状態で冷静でいろ、というのは酷な話だし、対応する側としては、多少カチンと来る言動があったとしても、そこは笑って受け流し、なぐさめようとするのが大人というものだろう。まして、政府となれば、なおさらのこと。それを……。

 また、それを抜きにしても、「自己責任」と被害者やその家族を責めるのは、非常に未熟で幼稚な論理としか映らない。

 被害者達の行動について、「遊泳禁止区域で泳ぐようなもの」との意見があるが、これほど的はずれな意見もない。それとこれとは大きく異なる。遊泳禁止区域で泳いでも誰の利益にもならないが(本人は楽しいという利益を得たかもしれないが、それで溺れたら不利益の方が大きくなる)、イラクでの取材・救援活動は、多くの人々の役に立つ。それが最も重要なところだ。

 今回の「自己責任」論支持者は、「危険な所へ行く方が悪い、それをわざわざ助けたり、ましてや称賛する必要などない、危険な所へ行かせるな」という主張をしているようだが、危険な所へ行って活動する人がいなくなればどういうことになるか、少しでも考えたのだろうか。

 危険な所で活動する人がいなくなれば、危険地域の情報は断片的にしか入ってこない。当然、的確な判断などできなくなる。また、救援に行く人もいないということになるから、万が一、自分たちの住んでいる地域が「危険地帯」になったとしても、救援はのぞめない。ごく身近な例を挙げれば、火事になっても消防士は外から消火活動するだけで、それ以上のことはしてくれないということになる。

 「危険な所へ行かせるな」というのは、つまりはそういうことである。誰も危険を引き受けない社会より、人によって差はあれど、危険を冒して他者のために行動する人がいた方が、全体として、より利益を享受できる社会になると思う。(ただし、危険を冒すことを強制すべきではない。危険を冒すことを強制される社会より、そうでない社会を人々は望むであろうから)

 退避勧告というのはその地域がどれほど危険かを示すもので、それ以上のものではないだろう。自分がその地域に留まることにより生じる利益不利益を見て、利益の方が大きいと判断すれば残る。それでいいと思う。

 「自分がここにいても、あまり大したことはできない」と判断するか、「周囲には多くの利益を与えられるとは思うが、自分にとっては命の安全の方が大事だ。ここまでのリスクは自分には引き受けられない」「周囲に与える利益よりも、自分には身近な人々に心配をかけてしまう不利益の方が重要だ」と判断すれば、引き上げる。大半の人は、引き上げるだろう。あえて留まるのは、何よりも、全体の利益を優先するということであり、それは称賛すべき行為である。

 称賛及び非難の役割というのは、人々をなるべく道徳的に行為するようにし向けることだからである。(この点については、いずれ詳しく別の所にアップするつもりである。もっとも、DQなど他に仕上げたい所は山ほどあるので、それがいつになるかはわからないが…)。

 今回のように、被害者達が非難されたということは、危険を冒しての救助活動が「道徳行為」として認識されなかったか(それどころか迷惑行為とされた)、もしくは、道徳行為を称賛しないようになったかのどちらかである。どうも今回は、前者の色彩が強いようだが……。

 日本以外の国々では、被害者達の活動が称賛されているようで、「道徳行為」についての認識が自分と同じものであることにほっとしている。もっとも、それがややこしい事態を巻き起こした張本人・アメリカの発言というのがいかにも情けないが。

 もっとも、このような称賛は、度が過ぎると「当人の引き受けた不利益」の方にばかり目がいってしまい、その行為が全体の利益になっているかどうかの判断を見失うことになるので、その点は気を付けねばならないが。(例:自衛隊派遣は本当にイラクの、世界の利益になっているのか。それは不利益(隊員の危険・費用など)を上回るものか)

 そして、今回の件については、被害者達の活動がもたらす(もたらした)利益は、様々な不利益を補って余りあるものだと思う。

 ジャーナリストがもたらす情報は、的確な判断に不可欠のものだし、その判断は、多くの人々の人生(そして命)を左右する。現地での支援活動も、また多くの人々を救っているだろう。彼らがもたらした(す)利益は非常に大きなものであり、それに比べれば、救出費用云々の不利益は、些細なことだと言えるだろう。もちろん、政府とてできることには限界があるだろうから、できる限界のことを考えて示しておくのが悪いというわけではないが、出来る限りのことをすることは、こうした活動を支えるためにも必要であろう。

 そうした活動は自己防衛能力のある自衛隊などの公的組織に任せればいいとの意見もあるが、そのような組織にはできない活動もあるからNGOなどがあるのである。それに、事が起きて初めてそこへ派遣される政府組織よりも、それ以前からずっとその地域に滞在し活動しているNGOなどの方が、ずっと有意義な活動ができることだろう。実際に聞いてみたわけではないが、もし現地の人々に、自衛隊とNGOのどちらにいてほしいかと聞いたらNGOと答えるのではなかろうか。

 これまで、現地の人がNGOに対し嫌悪を表明したり出て行けと口にしたりしたという話はあまり耳にしたことがないが、自衛隊に対しては、事件前からこのような意見がたまに見受けられた。実際、犯人グループの要求も「自衛隊撤退」だった。場合にもよるが、こうした事実を踏まえればーそして、こういう事例は多いことだろうーNGOを否定し、危険地帯でのNGOの活動を禁止する(そして、支援活動は政府組織のみが行う)、というのは、決して理にかなうことではないと思う。NGOにしかできない活動、というのは確かにあるものなのだ。(まあ、私もNGOについてそんなによく知っているわけでもないのだが……今回の例などを見ていると、そう思う。)自衛隊も、本気で復興支援をする気ならば、現地に詳しいNGOなどの人々の意見をもっと聞いて、協力しあうべきだろう。

#それに、政府組織なら自己防衛能力とやらがあるのか、あったとしてもそれで本当に安全なのかは大いに疑問である。例えばオランダ軍にいろいろ面倒を見てもらっているらしい自衛隊は、ひょっとすると向こうからは「お荷物」と見なされているかもしれないし、第一、「自己防衛能力」ということならトップクラスにいるはずのアメリカ軍にも何人も死者が出ているのだ。また、NGOなどの民間人からは、「武装するとかえって危険」との意見もある。

 ……とまあ、このようなわけで、今回の彼らの活動は、「他者の利益のために行動する」という道徳的行為をしようとしたものであり、もたらした利益の方が大きいため、称賛されこそすれ、非難されるようなものではないと思う。

 あと、家族に対しての非難の理由に「自分ならそんな所に行かせはしない」などというのもあったが、それこそ何を考えているのやら。行かせないも何も、皆大人なのだから、周囲がどんなに反対しても、本人がその気なら止めることなど不可能である。そのような理由で家族を責めるのは、空飛ぶ鳥を捕まえられなかったからといって責めるのと同じようなものである。

 ……ちょっと話が広がりすぎて、途中でややそれてしまった感もあるが、本題―人質家族と日本政府のやりとりと周囲の反応についてーに戻ろう。

 前者についての説明は以上であるが、次に、後者の場合―全て、首相の計算尽くでの行動だとしたら。これはなかなか、どす黒い。

 自衛隊を派遣すれば日本人に危険が及ぶ可能性は以前から指摘されていたから、今回の事件は、まあ、予想の範囲内である。しかし、可能性としてあるのと、実際にその事件が起きた場合とでは、やはりまた違ってくるもの。実際、この事件が発覚して間もない段階では、このような事態を想定しながら自衛隊を派遣した小泉政権に対し、「これでもし人質が殺されでもしたら、小泉政権にとて致命的」との声もあちこちであった。

 しかし、そうはならなかった。いつの間にか、政府よりも被害者やその家族を責める声の方が主流になっており、もし3人が無事解放されなかったとしても、小泉政権にとっては痛くも痒くもない状態になっていた。………少し、妙ではないか。

 今までの選挙の経緯から見ても、小泉首相は、マスコミの影響力・使い方をよく心得ているはずである。そんな小泉首相が、マスコミを味方に付け、あえて「被害者家族との対立の構図」を演じて見せたのだとしたら。

 マスコミの影響力は凄まじい。下手に被害者家族と対立すれば、立場が危ういところだが、マスコミを味方につけることで、逆に被害者家族に非難の矛先を集中させた。

 被害者家族が少々ヒステリックになってしまったこと。被害者達が、退避勧告の出ている危険な場所へ自らの意思で赴いたこと。これらは事実である。

 しかし、それをどう捉えるかによって印象はだいぶ違ってくる。私はこれらの事実に対し、「被害者家族は余程追いつめられているんだろう。気の毒に」と思ったし、「危険な場所で支援活動をした被害者達は立派だ」と思ったのだが……そして、そういう意見が主流を占めるものと思っていたのだが……実際には、それとは全く逆の捉え方をされてしまった。

 自分に情報をもたらしたメディアが、その情報をどのように捉えていたか、というのは結構大きな影響を与えるものである。一部の事実を含むため、深く考えなければ何となくそのまま受け入れてしまいそうな危険がある。よくよく考えれば、論の展開にいくつもの粗い綻びが見つかったりするものだが。

 少々ヒステリックになっている被害者家族の姿を強調し、家族への共感を断つ。被害者達の活動がもたらした利益には目をつぶって彼らの活動を道徳的行為とは認識させず、遊泳禁止区域で泳ぐ行為と同列視する。

 そうやって、被害者側に問題があるように思わせることで、自身への非難をかわし、政権が危機に陥るのを防いだ。

 ……もし、意図的にこれらのことをやってのけたのなら、小泉首相は政治家として大したものだ。本当に、かなりどす黒い話になるが。有能であることと人格的に優れていることとは関係ない、ということにもなるが。(ああ、これだから政治は嫌いなんだ……)

 それにしても、このような説は、不思議とあまり取り沙汰されていない。まあ、不愉快な情報ばかり目に入ってくるからテレビのニュースはあまり見てないし(誰かが見ていれば嫌でも耳に入ってくるが)、私の情報源の殆どは新聞で、情報の入手先が少ないから、私の知らない所で結構扱われていたりするのかもしれないが……それでも、ちょっと少ないような……。私に思いついた程度のことを誰も思いつかない、というのも変な話だから、もしどこにもこのような説があまり出回ってないなら、それはこの情報操作説を裏付ける……かも、しれない。到底断定などはできないが。

 とにかく、意図的にせよそうでないにせよ、私にとって、今回の日本政府の対応は大いに不満で不愉快なものであったのだ。それをこうして述べれたことを、嬉しく思う。

 

 

2004.4.22

 

 

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