分析本あれこれ

 

注:一部毒舌を含みます。ご注意下さい。

 

 本屋を隅々まで見ていると、ある程度知名度のある作品には、それを分析した本が色々出ていることに気付くかもしれない。

 確か、ずいぶん前に、「サザエさんの秘密(?)」やら「ドラえもんの秘密」やらの本が出て、話題になったのを覚えている。

 その後、雨後の筍のように「○○の秘密」という系統の本が、次々と出版された。初期に出版されたものは、それなりに質の高いものだったと思うが、それ以後のはまさに玉石混淆。しかも、その比率を表すと、石6割、泥2割、玉2割といったところ。ちなみに、「泥」は、分析本の名に値しないばかりか、読むと非常に不愉快な気分にさせられ、投げつけたくなるようなもののことである。石よりもさらに酷く、作品を汚すので、ここではそのように呼ぶ。つまり、8割がハズレなのだ。しかも、「当たり」の「玉」でも、「大当たり」のダイヤモンドとなると、滅多にお目にかかれない。

 言うなれば、分析本というのは、8割がハズレの福袋。残りの2割も、大半は「ちゃんと値段分のものが入っていた」という程度のもので、「これは掘り出し物だ!」というのは滅多にない。それでいて、普通のコミックの倍以上の値段を要求するのだ。

(#もっとも、これは出版社によりかなり異なる。詳しくは最後に)

 普通なら、こんなものはまず買わないが、好きな作品の名を冠しているだけに、無視できず、つい買ってしまう。おそらくあちらも、そういう心理につけこんでいるのだろうが……はっきりいって、卑怯である。しかも、このテの本は、コミックと同様ビニールがかぶせてあることが多く、買う前に玉か石か見極めることもできないのだ。中を見られたら、中身がないのがわかってしまうからだろう。これが卑怯でなくて何だというのか。まあ、ハズレが石だけならば、なんとか我慢もできようが、問題なのは、「泥」の存在である。

 先程もざっと説明したが、ここでもう一度、「泥」について、さらに詳しく、具体的に説明しよう。私が「泥」と呼ぶのは、次のいずれか(…といっても一つあてはまれば全部備えていることが多いが)にあてはまるものである。

……といったものである。

 そもそも、優れた分析本というのは、その作品への十分な知識・理解・愛情はもちろんのこと、優れたユーモアセンスを備えているものだ。客観的な立場を崩さず、過度に感情を交えぬことも必要だ。また、著者は、その作品だけでなく、関連作品や歴史など、別の分野の知識に通じていることが望ましい。(ちなみに、それが科学であれば、「空想科学読本」になる。)

 しかし、これだけのものを全て兼ね備えるのはなかなか難しいだろう。実際、全ての条件を満たす逸品は、「スレイヤーズの超秘密」などほんの一握りである。むろん、これら全ての条件を満たしていないからといって、「泥」「毒」になるわけではないのだが、そのように分類されるものに共通して欠けているものがある。それは、ユーモアセンスである。

 ユーモアには、自他を客観視することが必要なので、少なくともこれが優れていれば、あまりに偏った見方に陥ることは避けられるし、そもそも、架空世界を真面目に分析しよう、という試み自体がユーモアの所産であるから、これはまったくもって当然の帰結といえよう。

 「毒」と分類したものを見れば、どこまで真面目にやるかー言い換えれば、どこまでこの世界の法則をあてはめるか、といったあたりの線引きがまるでできていない。

 着眼点からして、「そこに突っ込むのは野暮というもの」というところにばかり突っ込んでいたりする。特に謎本などでは、この着眼点により面白さが大幅に左右されるので、重視しなければならないところである。

 まあ、目の付け所が悪い、といった程度ならまだ許せるのだが、それが許せないのは、根本的な作品知識に誤りがある上、それを棚上げにして非常に偏狭な立場から傲慢に作品世界・キャラクターを見下して攻撃し、作品を貶めている場合である。当然、作品への愛情など微塵も感じられない。

 キャラクター分析を例にとっても、「一体どうやったらここまでひねくれた見方ができるのか。人を貶めることができるのか」と思わずにはおれない、著者の人間性を疑うような悪意が文中からひしひしと伝わってきたりする。

 例えば、「リナ=インバースはひねくれている」というのは「スレイヤーズ」という作品において、主人公本人も否定できないところではあるが、それが「このやりようは明らかに人間性を欠いている。精神を病んでいるとしか思えない」といったようなものではないことは、「スレイヤーズ」ファンならわかることである。しかし、「スレイヤーズの秘密」はリナをこのように評し、リナの様々な長所には全く触れてさえいない。

 T氏の書く分析本にも同様の傾向が見られる。とにかくキャラの好き嫌いが激しく、嫌いなキャラに関しては、偏った見方で傲然と見下し、徹底的に貶める。とにかく、「自分好みのキャラクター像」を「正しい人間像」として、それと異なる人間は異常、病気だとしているのだ。

 曰く、「殺生丸は人間として(←殺生丸は妖怪だろう…)欠落している。きっと親が××だったんだろう。これは△△というタイプに分類される人格障害云々、しかしそんなのでは世の中通用しない、きっと不幸になるぞ。悔い改めよ」曰く、「犬夜叉はたいそう乱暴者だ。それは親が××で××な育ち方をしたからだろう。こんな性格では幸せになれない。反省して、もっと××すべきだ」曰く、「クラピカのあの執念は異常だ。病気だ。それに、あの高飛車な態度。嫌な奴だ」etcetc……

 ……温厚な人でも、こんな言い方されたら怒るぞ、普通は。

 実際は、もう少し間接的な表現をしているものの、ニュアンスとしては、こんな感じである。

著者は、面と向かってこんなことを本人に言えるのだろうか。まあ、殺生丸にそんなことを言ったりしたら、まず命はないだろうし、他のキャラでも無傷ではすまないだろう。無論、これを聞いたキャラが怒ってやってくるということはないが、相手が反論してこないからといって、何を言っても許されるわけではない。

 それにしても、著者は一体何様のつもりなのだろうか。「人間性を疑う」というのはこういう時に使う表現だと、つくづく思う。

 「嫌い」という自分の感情を正当化しようと、あの手この手を使ってキャラを貶めている。……偉そうに人を見下して、そういうお前はどれほど立派な人間だというんだ、少なくとも優れた人格を有しているようには見えないぞ、などと言いたくもなってくる。最初に性格を様々なタイプに分類する際、どのタイプがいいとかいうのはないとむろんことわってあるのだが、実際に書かれている内容はそれを見事に裏切っている。

 このように、私情が入りまくっており、客観性を欠いた悪口の羅列としか呼べないようなシロモノが、まともな分析本の名に値するわけがない。ネットでこういうのを見かけたなら、まあ、運が悪かったと思ってすますこともできるが、書店で購入した本だとそうはいかない。相応(以上だと思うが)の代価を払っていることもあるが、書籍として出版されるからには、それなりのレベルの高さが求められるのが当然だ。それがネットの悪口レベル!いや、ネットの場合は、特定のキャラをこきおろす時には、あらかじめ「○○が好きな人は読まないで下さい」といったふうな注意書きをしてあるものだから、ネットよりひどい。

 文の奥に潜む悪意と傲慢さ。それがたとえ嫌いなキャラに関するものであっても、そうしたものを見せられるのは非常に不快である。奈落やアーロンも、この悪意の前には可愛いものに思えてしまうほどだ。それが好きなキャラであった日には……。主人公クラスのキャラに対しても、平然とこれだけの暴言を吐くところを見ると、読者に対する配慮が根本的に抜けているのだろう。自分の思慮のなさは完全に棚にあげて、他人を陥れ、自分の醜さをさらけ出しているのだ。

 もっとも、これは、このような架空キャラ分析にかぎったものではなく、メディアなどで著名人と称する人達が特定人物―それも、どう批判しても、自分が世間から反感を買わずにすむであろう人物(若者、犯罪者など)―を評する時も、同様の傾向が見られる。

 彼らは、苦しんでいる人を見て、どういうわけか、やたら偉そうに「心が弱い」「精神的に問題が」と決めつけ、見下し、責め、嘲笑する。言葉による集団リンチや弱い者いじめにしか思えないような時もある。こういう人種には、T氏も含め、心理学者や精神科医という肩書きを持っていたり、それらの知識をかじったりしている人が多いような気がするが、他の分野に比べ検証が難しいからといって、わからないこと、理解したくないこと、嫌いなものは全て「異常」で片付けるがごとき真似をして、大人として恥ずかしくないのだろうか。

 そもそも、自分が持っているものを持っていないからといってその人を見下したり責めたりすることが立派な行いといえるか。

 足の速い人が足の遅い人を見下すのが誉められた行為か。リレーに負けたからといって、責めるのは、正しい行いと言えるか。

 同じように、自分が多少コミュニケーション能力に優れているからといって、それが苦手な人を見下したり責めたりするのがいいことか。

 ……大幅に話がそれてしまったが、とにかく、分析本というからには、例え嫌いなキャラであっても、冷静に、客観的に分析することが大切なのだ。むろん、あまり冷静に徹しすぎると、それはそれで面白くない、という場合もあるだろう。しかし、「好き」で多少羽目を外しているのならば大目に見ることができても、「嫌い」というのはそのキャラを好きな人にとってはあまり嬉しいものではないし、ちょっと表現を間違うと単なる悪口の羅列となってしまう。読者に不快感を与えないようにそれを表現するのは、なかなか難しい。そこらへんの線引きがうまく出来るのならばともかく、世の中にはそうでないものの方が多いので、ここは分析本は過度に私情をさしはさむのを差し控えた方がいい、と言っておこう。

 もっとも、作品に対する愛情があれば、多少のことを言っても角は立たないものだ。例えば、「リナ=インバースはひねくれている」「クラピカは生き方を変えた方がいい」「この作品のこの技は物理的にありえない」ということでも、彼らのファンが言うのとT氏が言うのとでは、受け取る側の印象はまるで違う。「作品への愛情の欠落」が読者に不快感を与える最大の要因なのかもしれない。

 それにしても、作品に愛情がないなら、なぜこのような本を出版するのか。分析本の中には「本当に読んだのか?」というぐらい的はずれな勘違いにあふれているものもあるし、読んでいると、著者はその作品が嫌いなのだとしか思えないような悪意に満ちあふれたものもある。その作品にあまり好感を持てない人なら、ひょっとすると読んで楽しめるのかもしれない、ということで出版されているのかもしれないが、表紙にも帯にもそのようなことは書いていないから、結果として、その本を買うのは、大半がその作品を好きな人ということになるだろう。人気作品の名を冠していれば売れるだろう、との打算に基づいたものだとしても、きちんとした書籍として出版するからには、最低限、執筆にはその作品のちゃんとしたファンを当たらせるなどして、それなりの質を保証してほしいものである。

 最後に、出版社ごとの分析本の特徴などをざっと見ていきたいと思う。今まで「泥(毒)」への批判を散々述べてきたわけだが、それが含まれる率などは出版社によってかなり異なるので、多少なりと参考にできればと思っている。

 

公式

 もとになる作品を出している出版社の編集部により制作されているもののことである。原作者との関わりも大きく、大抵の場合、裏設定が公開されたりコメントが載っていたりする。

 また、その作品を読んだことがなくても大体の内容がわかるようになっている。単なる「これまでに明かされた設定をまとめただけのデータ集」に終わってしまうこともあるが、基本的には、様々な企画が発動されていたり、気のきいたコメントが載っていたりと、それなりに楽しめる仕上がりになっている。

 読者の存在をきちんと意識して作られているため、毒を含んだ泥であることはまずないと言っていい。それがかえって物足りなく感じられる時もあるが、編集者の愛情は十二分に感じられ、非常に「濃い」つくりになっているものも少なくない。

 玉石混淆の率で言えば、約9割が「玉」だと言っていいだろう。その「玉」も良質の粒ぞろいで、ダイヤもごろごろしている。

 例をあげれば、

「テニスの王子様20.5」「犬夜叉奥義皆伝」「コナン・ドリル」…

などなど、枚挙に暇がない。しかも、その値段は、「普通のコミックよりやや高い」といった程度で、他の分析本に比べると、かなり安い。「コナン・ドリル」は一見高いようにも見えるが、その驚くべき内容の濃さを考えれば、十分うなずけるものである。

 つまり、はずれは殆どなく、「大当たり」である確率も高いという、申し分のないものなのである。他の分析本も、このぐらいの質を維持してくれていればいいのだが……。

 

データハウス

 「○○の秘密」「○○の謎」といった形式の本を出版している。いわゆる謎本の元祖。価格はいずれも千円程度。著者は「△△同好会」「△△研究会」など、原則として複数のメンバーらしく、個人名は記されていない。対象作品を熟知している人を読者対象としているので、その作品を知らない人には何のことやらさっぱりわからないかもしれない。

 タイトルからわかるように、主に作品世界に見出された謎を、様々な観点から分析したもの。着眼点によって、その面白さはだいぶ変わってくる。

 当たりはずれが非常に激しく、「石」「泥」「毒」も結構混ざっているが、「玉」の出来はまさに逸品。公式のものと違って型にはまらず、自由な立場から、卓越したユーモアセンスで読者を驚かせたり笑わせたりして楽しませてくれる。そして、他作品との比較など、公式本ではあまりできないようなことをやったりもする。

 玉石混淆の率でいえば、石6割泥2割玉2割、といったところだろうか。公式本よりも当たりの率は低くなるが、当たれば大きい。データ集、という側面や公式という制約がないため身軽で、優れたものは、公式本よりも面白い。

 

フットワーク出版

 わりと最近、急速に進出してきたところで、「○○キャラ解析書」「○○心理解析書」といった形式の本を出版している。基本的に単行本サイズで、価格は1200〜1800円程度。著者は大体1〜4人で、各々の名前も記されている。最初に大まかなあらすじが載っているので、対象作品を知らない人でもついていけるだろう。

 心理学の分類法に基づいて、漫画のキャラを分類してみよう、というのがメインである。大半は、本当に分類しているだけで、大したことをしているわけではない。最初の分類法のところを読めば、読者にも簡単にできる程度のものである。その他には、ちょっとしたコラムや今後の展開予想がおまけ程度に載っていたりするが、それも内容が薄い。

 玉石混淆の率で言えば、石4割泥5割、玉1割、という組み合わせで、リスクが大きく、しかも高い。また、頼みの「玉」も、「公式」や「データハウス」に遠く及ばない。「フットワーク出版」の「玉」は、この両者の「石」程度のものだと思っていいかもしれない。少なくとも、あまり濃い内容を期待してはいけない。

 ただ、これは、著者により玉石の見分けがつけやすいのが唯一の長所である。参考までに、T氏、O氏は泥(毒)で、脚本家の書いたものなどは、一応「玉」に入れてもいいだろう。

 ……このように、ハイリスク・ローリターンの困った出版社なのだが、今一番出回っているのはこれなのだ。……困った世の中である。

 

 

 ここまで長々とおつきあい頂いて、ありがとうございます。

途中、毒舌の度がすぎて不愉快な思いをさせたかもしれないことを、お詫び申し上げます。

 

2003.12.10

 

 

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