レブレサックの記憶

 

 今回、キーファの別れと同じぐらい印象に残ったのが、レブレサックのこの

イベントである。それも、ひたすらに悪い意味で。

 ここでは、暴徒と化した人間の恐ろしさを嫌というほど味わった。

 そこにある、人間の底深いドロドロした部分も。

 ドラクエでは、これまでもそのような人間の醜い部分を見せる話があったが、

ここまでハードなものは初めてである。正直、ゲームでここまで凄い話が展開され

るとは思っていなかったので、衝撃は大きかった。

 暴徒と化した人間の恐ろしさーというのは、それまでも、何かで読んだりした

ことがあったと思うが、ここまで恐ろしいと思ったことはなかった。実のところ、

そのような描写を目にしたのはそれほど多いわけではないから、他作品と比較し

てどうこう述べることはあまりできないのだが、それでも、レブレサックで感じ

たあの「異様な雰囲気」は、現実に人の心の底に眠るそれを非常に巧みに表現したものだったと思う。

 そこでは、別にCGムービーが使われたわけでもなく、キャラも二頭身のまま

だったが、人々の目が血走り、殺気が辺りに充満していることが容易に感じられた。

周囲に立ちこめる異様な空気、少しの異論も許されない雰囲気、息苦しさ……

そしてそれが、過度の恐怖心、そしてそれまで抑えられていた憎悪によるもの

であること、さらに、それは、現在自分たちが多数で優勢に立っているという

自信によって増幅され、さらには暴発してしまったものであろうことがまたわかるのである。

 現実においても、このような雰囲気は、誰でも多かれ少なかれ感じたことがある

のではないだろうか。ごく最近の大きな例を挙げれば、9月11日のアメリカの

テロや北朝鮮報道がそうだし、小さな例で言えば、ある集団内で、一人だけ毛色

の違う者を仲間外れにしたりするようなこともそうである。

 普段はそのような醜い部分はごく小さな形でしか発露されず、それに気づくこと

もないが、何かが起こった時、それは一気に噴出する……レブレサックは、自分の

中に、また他人の中に眠るそうした部分に気づかせるのである。

 普段は理性的な人であっても、ひとたびそのような雰囲気に呑まれると、何を

するかわからない……実際、初めてレブレサックを訪れた時、村は暗い雰囲気に

包まれていたものの、そこに住んでいるのは、他と変わらぬ普通の人間達だったように思う。

 なのに、村人を魔物から救った主人公一行が、教会の魔物退治の協力を頼まれ

て否と答えたその途端、こちらの言うことには全く耳を貸さず、魔物の仲間と

決めつけ暴行を加え、小屋に閉じこめる。教会にいきなり焼き討ちをかけ、

出てきた魔物(実は神父様)が全く無抵抗にも関わらず、少しの疑念も差し挟む

ことなく、一方的に暴行を加え続ける。さらに、小屋を抜けてその非道を止めよう

とした主人公一行と、それを助けたルカスをも魔物と決めつけ魔の山に追放する。

 ここまで来ると、もう完全に正気を失っている。ルカスは以前からこの村に住ん

でおり、まだ子供。しかも両親を当の魔物に殺された一番の被害者であるのに、

このように決めつけるなど、常軌を逸している。レブレサックを完全に狂気が覆い尽くしていた。

 自らの恐怖と憎悪に呑まれ、自分たちが優位にいることでそれに火がつけば、

正常な思考力・判断力は完全に麻痺し、狂気と暴力性がこれを支配する。

それは、ひどく恐ろしいことに思えた。

 そうなると、どんなひどいこと、残酷なことでも平然とやってしまうのだろう。

そして、その姿は……正気の者には、このように映る、ということがわかる。

レブレサックを見ていると、このようには、なりたくないと思う。

非常時にあって、正気を保つのは難しいことだとは思うが……。

 しかし、レブレサックで見たのは、人間の醜い部分だけではない。

レブレサックの神父様は、本当に素晴らしい人だった。

あれだけひどい目に遭わされたというのに、恨み言の一つも言わず、それどころか、

「神父は人の心を安らかにするもの。

しかし、村人は、私の姿を見るたびに、この事件を思い出し、心安らかではいられないでしょう」

などというようなことを言い、傷が癒えるのも待たずに村を出て行ったのだ。聖職者の鑑である。

 村人があれほどまでに従う人柄…というのもよくわかった。

そして、神父様を心から慕っていたがゆえに、あれほどの憎悪を呼び起こしたのだとすれば……皮肉なものだ。

 しかし私は神父様のような人格者ではないので、このようなこと、到底納得でき

なかった。ルカスと同じく、悪いのは村人じゃないか、出て行くなら村人の方だろ

う……という気分だった。結局、引き留めることはできなかったが。

 こうして、事件はやや後味の悪さを残したまま、一応の片はついた。

だが、レブレサックの嫌悪は、これでは終わらなかった。

 自分の行為を心底悔やみ、神父様が何も言わずに去っていったことを心から悲し

んでいる人もいたが、その数は、思ったほど多くはなかった。村の中には、

「なんだかほっとしたような空気」さえ漂っていたのだ。それでも、悲劇を二度と

繰り返さぬよう石版を作ろうという動きが見られはしたが、それさえも、

「石碑さえ作ればそれでよし」という面がちらほらと感じ取られ……中でも一番腹が立ったのは、

「自分は最初からあの魔物が神父様だということに気づいていた。みんなひどいことしたねえ」

などと言い放ったおばさんである。このおばさんも、しっかり暴動にに参加して

いたような気がするんだが(直接手は下してなかったかもしれないが)……あの時、

止めようとしたのは主人公一行とルカスだけである。反省のカケラも見せずに、

平然と責任転嫁するとは……厚顔無恥、ではすまない。ここまでしておいて自分を

正当化するなど……まったくもって、許し難い。

魔物より、人間の方がよほどタチが悪いのである。

 そして、この傾向は、未来にも受け継がれた。その後何百年も経過したレブレサックでは、この悲劇を記した石版が、村人達に都合のいいように書き換えられていたのである。

「我々が心から愛していた神父様は、旅人に変装した魔物に殺された」というふうに。

 真実を記した石版も見つけたのだが、それを知った村長は、今更村人にこのような

つらい歴史を背負わせることはできない、こんなことは知らない方がいいのだ……

などと言って、石版を割り、全てなかったことにしてしまった。

 その結果、どうなったか。魔王が復活した時、「旅人は皆魔物」と言わんばかり

に、よそ者に対して完全なる村八分の対応をとるようになったのである。

随分前からこの村に来て、長く商売をやっている商人さえも、魔物扱い。

村には緊張した空気が立ちこめ、まさに一触即発の雰囲気で、かつてのレブレサック

あの雰囲気に近いものが感じられた。何かのきっかけで、すぐにもまたあのような暴動が起こりそうな……。

 つらい歴史を封印したばかりに、こうなってしまったのだ。

これでは、また同じような悲劇が繰り返されたとしても不思議ではない。

 レブレサックでは、歴史の重要さと人間の愚かさもまた、私の心に刻み込まれたのである。

 「恐怖心ゆえに犯してしまう罪」というのはあちこちで見受けられる。「自分達とは違うものを排除する」というのもその例の一つだろう。ルーメンでもそうだった。

 DQ7では、このように、かなり奥の深い話がたくさんあった。

 それら一つ一つを、忘れずに心に留めておきたい。

 

 

2003.10.4

 

 

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